日本歴史地名大系 「梅津村」の解説 梅津村うめづむら 新潟県:両津市梅津村[現在地名]両津市梅津北はタダラ峰から大滝(おおたき)山・両津湾へと延びる支脈が椿(つばき)村・羽黒(はぐろ)村と限り、南は役行者(えんのぎようじや)山より東に延びる支脈で長江(ながえ)村・加茂(かも)村と境する。西は岨巒堂(しよらんどう)山(七五一メートル)を真ん中にその後方金北(きんぽく)山から北へ延びる大佐渡山地を背にし、東は両津湾に面する。集落は村内のほぼ中央を流れる梅津川流域の扇状地にあり、馬場組・丹後橋組・中之組・浜組・屋敷組の五組が主体をなす。梅津川北側には浜梅津(はまうめづ)の浜組があり、南側の段丘下海浜には延宝七年(一六七九)梅津村に合併した北平沢(きたひらさわ)と、明暦三年(一六五七)に始まると伝える南平沢(以上梅津区有文書)、台地上にかけて白山(しらやま)の集落がある。康永三年(一三四四)一一月一六日の足利尊氏寄進状(園城寺文書)によれば、飛騨国内の所領の替地として近江園城(おんじよう)寺に佐渡国の梅津保地頭職などが寄進された。また永徳元年(一三八一)一二月一四日の室町将軍家(足利義満)御教書(本間文書)には「梅津保付浦河浦渋谷平三跡地頭職」を本間泰直に安堵するとあるが、検討を要する。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by