日本歴史地名大系 「棚橋村」の解説 棚橋村たなはしむら 三重県:度会郡度会町棚橋村[現在地名]度会町棚橋宮川中流左岸の最大の段丘上西部山麓にある。東は大野木(おおのき)村河津(こうづ)、西は宮川に突出た蓮華寺(れんげじ)の山地で牧戸(まきど)村と境する。南は宮川で対岸下久具(しもくぐ)村と対する。北には国束(くづか)山地の標高三〇二・八メートルの大日(だいにち)山が連なり、東麓を岩坂(いわさか)より田丸(たまる)(現玉城町)への道が通る。栃原(とちはら)(現多気郡大台町)・滝原(たきはら)(現大宮町)へ至る道が集落の南端宮川に沿って通り牧戸村へ至る。当地は大橋(おおはし)と称し、平安時代に入り伊勢神宮領大橋御園が設定され、康永三年(一三四四)の法楽寺文書紛失記(京都市田中忠三郎氏蔵文書)によれば、棚橋はその異名であった。「神鳳鈔」には「二宮大橋御薗各六斗」とある。 棚橋村たなばしむら 栃木県:那須郡那須町棚橋村[現在地名]那須町大和須(おおわす)八溝(やみぞ)山塊の北西部に狭い谷を刻む三蔵(さんぞう)川支流大和須川の流域山間に位置する。南西は大輪須(おおわす)村、北は中梓(なかあずさ)村など。那須衆伊王野氏断絶後、寛永一一年(一六三四)より黒羽藩領となったと推定される(伊王野村郷土誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by