朝日日本歴史人物事典 「森徹山」の解説
森徹山
生年:安永4(1775)
江戸後期の四条派の画家。大坂の人。名は守真,字は子玄。森狙仙の兄の周峯の子で,狙仙の養子となった。狙仙の勧めで,晩年の円山応挙について画を学んだ。応挙十哲のひとり。狸などを飼って,その写生に励み,動物画家として名をなした。また好んで獅子,虎などを描いた。狙仙の跡継ぎではあったが,狙仙の画風とは異なり,完全に円山派の画風によった。大坂に住んで京都と行き来し,円山派を大坂にひろめた。謹直,子ぼんのうで,子供の着物の模様の下絵を自ら描いたりしたという。門人の森一鳳,森寛斎は義子。67歳で没し,京都の帰命院に葬られた。代表作に「双牛図屏風」(東京国立博物館蔵),「千羽鶴図屏風」(プライス・コレクション)などがある。<参考文献>田中敏雄「徹山考」(『古美術』49号),大阪市立美術館『近世大坂画壇』
(河野元昭)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報