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森徹山 もり てつざん

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美術人名辞典の解説

森徹山

江戸後期の画家。大坂生。名は守真、字は子玄・子真、徹山は号。森狙仙の兄周峰の子、のち狙仙の養嗣子となる。父及び円山応挙に学び、応挙門下十哲の一人。江戸へ下り、京風の画を江戸に伝えた。のち大坂に帰り、熊本藩主細川氏の藩臣となる。天保12年(1841)歿、67才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

森徹山 もり-てつざん

1775-1841 江戸時代後期の画家。
安永4年生まれ。森周峰の子。叔父の森狙仙(そせん)の養子となる。円山応挙にまなび,門下十哲のひとり。動物画を得意とした。天保(てんぽう)12年5月6日死去。67歳。大坂出身。名は守真。字(あざな)は子玄。作品に「双牛図」など。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

森徹山

没年:天保12.5.6(1841.6.24)
生年:安永4(1775)
江戸後期の四条派の画家。大坂の人。名は守真,字は子玄。森狙仙の兄の周峯の子で,狙仙の養子となった。狙仙の勧めで,晩年の円山応挙について画を学んだ。応挙十哲のひとり。狸などを飼って,その写生に励み,動物画家として名をなした。また好んで獅子,虎などを描いた。狙仙の跡継ぎではあったが,狙仙の画風とは異なり,完全に円山派の画風によった。大坂に住んで京都と行き来し,円山派を大坂にひろめた。謹直,子ぼんのうで,子供の着物の模様の下絵を自ら描いたりしたという。門人の森一鳳,森寛斎は義子。67歳で没し,京都の帰命院に葬られた。代表作に「双牛図屏風」(東京国立博物館蔵),「千羽鶴図屏風」(プライスコレクション)などがある。<参考文献>田中敏雄「徹山考」(『古美術』49号),大阪市立美術館近世大坂画壇

(河野元昭)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の森徹山の言及

【円山四条派】より

…応挙が指揮した寛政度造営御所の障壁画では一門が大活躍している。門下の代表的画家に十哲と呼ばれる源琦(げんき),長沢蘆雪,渡辺南岳(1767‐1813),森徹山(1775‐1841),西村楠亭(1775‐1834),山口素絢,奥文鳴(?‐1813),吉村孝敬(1769‐1836),山跡鶴嶺(生没年不詳),僧月僊のほか,応挙を継いだ長男応瑞(1766‐1829),木下家を継いだ次男応受(1777‐1815)がいる。応挙様式はまた岸駒,森狙仙,原在中ら円山派以外の画家にも大きな影響を与え,19世紀京都画壇の隆盛をもたらした。…

【森狙仙】より

…江戸後期の大坂画壇を代表する画家の一人。名は守象,初め祖仙と号した。父,2人の兄とも画家という恵まれた環境に育った。初め狩野派の画家に学んだが,写生に立脚した平明な画風をひらいた円山応挙の影響を受け,身近な動物を得意とした。特に精細な描写に擬人化したユーモアを感じさせる猿の絵が名高い。次兄周峯の子で応挙に師事した徹山(1775‐1841)を養子に迎えて後継者とし,さらに徹山門下に一鳳(1797‐1851),寛斎(1814‐94)が出て森派を形成した。…

※「森徹山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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