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森狙仙 もり そせん

美術人名辞典の解説

森狙仙

江戸後期の画家。長崎生。名は守象、字は叔牙、初号は祖仙、のち狙仙と改める。大坂狩野派山本如春斎に学び、また円山応挙の写生主義の影響も受けて一家を成した。動物、特に猿と鹿の絵を得意とした。文政4年(1821)歿、75才。

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デジタル大辞泉の解説

もり‐そせん【森狙仙】

[1747~1821]江戸後期の画家。名は守象。狙仙は号で、初め祖仙。大坂を中心に活躍。円山応挙の影響を受け、写実的画風を確立。動物画、特に猿の図を多く描いた。

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百科事典マイペディアの解説

森狙仙【もりそせん】

江戸後期の画家。長崎に生まれ,のち大坂に住んだ。名は守象,字は叔牙,祖仙と号し,のち狙仙と改めた。狩野派に学んだのち円山派四条派を入れて写生画風に変わった。動物画を得意としサルの絵は有名。
→関連項目森寛斎

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

森狙仙 もり-そせん

1747-1821 江戸時代中期-後期の画家。
延享4年生まれ。森陽信,森周峰の弟。出身は長崎または摂津西宮(兵庫県)とされるが,活躍地は大坂。狩野派をまなび,円山応挙の影響をうけて写実的な動物画に新境地をひらいた。とくに猿の画で名だかい。作品に「猿鹿図」など。文政4年7月21日死去。75歳。名は守象。字(あざな)は叔牙。初号は祖仙。

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朝日日本歴史人物事典の解説

森狙仙

没年:文政4.7.21(1821.8.18)
生年:延享4(1747)
江戸後期の画家。名は守象,字は叔牙,号は初め祖仙,のちに狙仙と改めた。別号に如寒斎,霊明庵,霊猫庵などがある。出生地は摂津西宮(兵庫県)説や長崎説もあるが,大坂の可能性が強く,活躍したのも大坂。初め勝部如春斎について狩野派の技法を学んだ(通説の山本如春斎は誤りとされる)。しかし,狩野派の伝統にあきたらず,円山応挙を中心に台頭した客観主義的絵画の影響を受けて,精密な写生に励み,新たな写実的画風を確立した。動物,特に猿と鹿を得意とし,数年間山中に籠って猿の生態を研究したという逸話が生まれるほど,毛描きに卓越した技法をみせた。養子となった甥の徹山と共に派を形成した。75歳で没し,大坂の西福寺に葬られた。代表作に「猿鹿図」双幅(東京国立博物館蔵),「雪中獣禽図襖」(京都広誠院蔵)などがある。<参考文献>土居次義『近世日本絵画の研究』,河野元昭「森狙仙研究序説」(『国華』950号),木村重圭「狙仙考」(『古美術』49号)

(河野元昭)

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世界大百科事典 第2版の解説

もりそせん【森狙仙】

1747‐1821(延享4‐文政4)
江戸後期の大坂画壇を代表する画家の一人。名は守象,初め祖仙と号した。父,2人の兄とも画家という恵まれた環境に育った。初め狩野派の画家に学んだが,写生に立脚した平明な画風をひらいた円山応挙の影響を受け,身近な動物を得意とした。特に精細な描写に擬人化したユーモアを感じさせる猿の絵が名高い。次兄周峯の子で応挙に師事した徹山(1775‐1841)を養子に迎えて後継者とし,さらに徹山門下に一鳳(1797‐1851),寛斎(1814‐94)が出て森派を形成した。

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大辞林 第三版の解説

もりそせん【森狙仙】

1747~1821) 江戸中・後期の画家。長崎の人。名は守象。号は初め祖仙。大坂で活躍。円山応挙の影響を受け、独自の画風で動物を多く描き、特に猿猴えんこう図を得意とした。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

森狙仙
もりそせん

[生]延享4(1747)
[没]文政4(1821).7.21. 大坂
江戸時代中・後期の画家。名は守象 (もりかた) ,字は叔牙。出生地については大坂,摂津西宮,長崎の3説があり不詳。大坂に住んだことは確かで,同地で兄の陽信,周峰とともに狩野派画風を学び,如寒斎,霊明庵と号した。のち円山派を加味した写生的様式に移り,動物画,なかでもさるのさまざまな姿態を写すのを得意とし,60歳頃から祖仙改め狙仙の号を用いた。主要作品『風雨桜花五猿画』『月夜山谿猿猴図』,『秋山遊猿鹿図』 (東京国立博物館) ,『白猿図』,『猿図絵馬』 (天王寺庚申堂) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

森狙仙
もりそせん
(1747―1821)

江戸後期の画家。父は橘如閑斎(たちばなじょかんさい)と名のる画家。名は守象、字(あざな)は叔牙。狙仙、如寒斎、霊明庵と号す。画(え)を初め長兄の陽信、次兄の周峰と狩野(かのう)派の山本如春斎に学んだが、円山応挙(まるやまおうきょ)の影響を受け、30代の後期に独自の写生的画風を確立し、猿書(さるがき)の名手として大坂を中心に活躍し、一派をなした。1807年(文化4)還暦を迎えてのち、号を祖仙から狙仙に改めたものと考えられる。応挙が絵のモチーフを均整のとれた写生的表現によって描くとともに、その背景を密度のある空間としてとらえることにより、独特の夢幻的絵画世界を構成したのに対し、擬人化した猿や鹿(しか)のユーモラスな姿態を、他の追随を許さない精細克明な毛描(けがき)のうちに表現する狙仙の画風は、洒脱(しゃだつ)性と技巧性の近代的な融合という点に大きな特色がある。代表作品には『雪中獣禽図襖(せっちゅうじゅうきんずふすま)』(京都・広誠院)、『秋山遊鹿(ゆうか)図』(東京国立博物館)などがある。なお狙仙の画風を継承展開した森派の画家として、森徹山(てつざん)、森寛斎(かんさい)があげられる。[玉蟲玲子]

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