森鷗外旧宅(読み)もりおうがいきゅうたく

国指定史跡ガイド 「森鷗外旧宅」の解説

もりおうがいきゅうたく【森鷗外旧宅】


島根県鹿足(かのあし)郡津和野町町田にある邸宅跡。明治の文豪森鷗外(林太郎)は、1862年(文久2)に津和野藩の典医、森家の長男として生まれた。津和野の旧居は、鷗外が生まれてから11歳までの幼年時代を過ごしたところである。鷗外は6歳のときから『論語』を学び、8歳から藩校養老館で漢籍を学んだ。父が藩主に従い侍医として東京に移ったのを機に、父にともなわれて上京。1874年(明治7)、東京医学校(現東京大学医学部)予科に進学、ドイツ留学後、軍医として陸軍軍医総監などを歴任した。かたわら、『舞姫』『阿部一族』『山椒大夫』などの名作を発表し、夏目漱石(なつめそうせき)と並ぶ明治の文豪に位置づけられる。現在、旧宅は瓦葺き平屋建てであるが、もとは茅葺きだったという。玄関に向かっていちばん左側の4畳半が鷗外の勉強部屋であった。森家の上京後人手に渡っていたが、1954年(昭和29)、津和野町が買い戻し、現在地に復元した。1984年(昭和59)に解体、全面的に修理された。1969年(昭和44)に国の史跡に指定されている。旧宅の隣には森鷗外記念館があり、直筆原稿や遺品などを展示している。津和野川をはさんで、向かいに西周旧居がある。JR山口線津和野駅からコミュニティバス「鷗外旧居前」下車、徒歩すぐ。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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