西周旧居(読み)にしあまねきゅうきょ

国指定史跡ガイド 「西周旧居」の解説

にしあまねきゅうきょ【西周旧居】


島根県鹿足(かのあし)郡津和野町後田口にある邸宅跡。明治時代の哲学者西周は、1829(文政12)に津和野藩典医の長男として生まれた。早くから頭脳の明晰さで知られ、4歳から『孝経』を、6歳で四書などを学んだという。1862年(文久2)にオランダに留学し法学や西洋哲学などを学び、帰国後は新政府で陸軍文部内務省官僚を歴任した。また、明六社(めいろくしゃ)の一員として、西洋の思想の紹介、啓蒙に努めた。「理性」「心理学」「哲学」などの学術用語は、周が創出したものである。周が4歳から25歳まで過ごした旧居は木造茅葺き平屋建てで、ほぼ中央に母屋、東北側に土蔵がある。古い土塀も当時のまま残っている。土蔵の左手奥の3畳間が周の勉強部屋で、食事の時間も惜しんで勉強したといわれている。母屋は1853年(嘉永6)の大火焼失し再建されたものだが、土蔵は焼失を免れ、現在にいたっている。1987年(昭和62)に国の史跡に指定された。津和野川をはさんで、向かいに森鷗外旧宅がある。JR山口線津和野駅からコミュニティバス「鷗外旧居前」下車、徒歩約6分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

関連語 あし

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む