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椋梨藤太 むくなし とうた

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

椋梨藤太 むくなし-とうた

1805-1865 幕末の武士。
文化2年生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩士。藩の保守恭順派を代表し,周布(すふ)政之助らの尊攘(そんじょう)派と藩政の主導権をあらそった。禁門の変のあと政権をにぎったが,高杉晋作らの挙兵に敗れ,慶応元年閏(うるう)5月28日萩の野山獄で処刑された。61歳。名は景治。

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朝日日本歴史人物事典の解説

椋梨藤太

没年:慶応1.閏5.28(1865.7.20)
生年:文化2(1805)
幕末の長州(萩)藩の政治家。名は景治。通称は藤太。遠近付士で禄高49石余。天保14(1843)年右筆坪井九右衛門の添役となる。嘉永1(1848)年右筆明倫館用掛となる。右筆は政務役ともいう実務役人の要職。同6年,政敵の周布政之助と交代。安政5(1858)年熊毛宰判(萩藩の郷村支配の中間組織)代官に任じ,万延1(1860)年に罷免された。文久3(1863)年の8月18日の政変で同藩が追われたのち,俗論派を結集して藩政府に迫り,隠居の処分を受けた。第1次長州征討の際,政務員に復帰して旧政府員多数を処刑し,元治の藩内の内戦に敗れて脱走し,津和野藩内で捕らえられ,萩野山獄に斬首された。

(井上勝生)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

むくなしとうた【椋梨藤太】

1805‐65(文化2‐慶応1)
幕末長州藩の政治家。禄50石の大組士。天保改革村田清風と対立した坪井九右衛門の後継者として政務座につき,周布(すふ)政之助と藩政で争った。開港後の幕末政争に保守派の巨頭となり,周布派に抑圧された。1864年(元治1)の第1次征長令後に政権を奪取して革新的政務員らを処刑した。翌年,藩内の元治の内乱に敗北し,津和野藩に捕らえられ,5月,萩の野山獄で斬られた。【井上 勝生】

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