植松有信 (うえまつありのぶ)
生没年:1754-1813(宝暦4-文化10)
江戸中期の国学者。尾張名古屋の人。通称忠兵衛,号は松蔭。その家はもと武士であったが父の代に浪人となり,版木業を営む。1789年(寛政1)本居宣長が初めて名古屋にきたとき対面しその門人となる。師から厚く信頼され,《古事記伝》をはじめ多くの師の著書の刊刻をまかされた。著書に《土佐日記冠註》《形喰草》《長閑日記》などがあるが,宣長が死去したとき9日間その奥つ城(おくつき)を離れず朝夕墓前に仕え,それを《山室(やまむろ)日記》としてしたためたことは有名である。
執筆者:南 啓治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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植松有信 うえまつ-ありのぶ
1759*-1813 江戸時代後期の国学者。
宝暦8年12月4日生まれ。名古屋の版木師。「古事記伝」の板刻にたずさわったのち,寛政元年本居宣長(もとおり-のりなが)に入門した。宣長との関係はふかく,その京都,和歌山行きにもしたがっている。文化10年6月20日死去。56歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。通称は市九郎,忠兵衛。号は松蔭。著作に「山室日記」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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植松有信 (うえまつありのぶ)
生年月日:1758年12月4日
江戸時代後期の尾張藩士;国学者;板木師
1813年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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