朝日日本歴史人物事典 「植松茂岳」の解説
植松茂岳
生年:寛政6.12.10(1795.1.30)
幕末期・明治前期の国学者。名古屋(尾張)藩士小林和六常倫の次男。10歳で父を亡くす。本居宣長の高弟で板木師の植松有信の内弟子となり,有信没後の文化13(1816)年植松家の養嗣子となる。天保6(1835)年名古屋藩校明倫堂に赴任,8年典籍見習次座に昇進。藩主徳川慶勝の侍講にまで昇るが,安政5(1858)年主君と共に安政の大獄に連座,文久2(1862)年まで閉居。慶応3(1867)年,明倫堂国学教授。金沢文庫本『続日本紀』校合御用,『尾張志』選述,熱田文庫建設など藩の文教事業に大きく貢献し,また尾張尊皇の士を多く育てた。<参考文献>『明倫堂典籍秘録』(名古屋叢書1巻),『名古屋市史人物編』1巻
(ロバート・キャンベル)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報