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植松茂岳 うえまつ しげおか

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美術人名辞典の解説

植松茂岳

幕末・維新の国学者・歌人。尾張生。有信の養子。通称は庄右衛門、号は不知・松蔭。本居大平に師事する。尾張徳川十六代当主養宣の師範として藩校明倫堂に出仕した。明治9年(1876)歿、83才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

植松茂岳 うえまつ-しげおか

1795*-1876 江戸後期-明治時代の国学者。
寛政6年12月10日生まれ。養父植松有信,本居大平(おおひら)にまなぶ。天保(てんぽう)6年から尾張(おわり)名古屋藩の藩校明倫堂でおしえ,安政2年藩主徳川慶勝の侍講となる。安政の大獄で幽閉。文久2年ゆるされ,のち明倫堂国学教授。明治9年3月20日死去。83歳。本姓は小林。通称は庄左衛門。号は松蔭。著作に「天説弁」など。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

植松茂岳

没年:明治9.3.20(1876)
生年:寛政6.12.10(1795.1.30)
幕末期・明治前期の国学者。名古屋(尾張)藩士小林和六常倫の次男。10歳で父を亡くす。本居宣長の高弟で板木師の植松有信の内弟子となり,有信没後の文化13(1816)年植松家の養嗣子となる。天保6(1835)年名古屋藩校明倫堂に赴任,8年典籍見習次座に昇進。藩主徳川慶勝の侍講にまで昇るが,安政5(1858)年主君と共に安政の大獄に連座,文久2(1862)年まで閉居。慶応3(1867)年,明倫堂国学教授。金沢文庫本続日本紀』校合御用,『尾張志』選述,熱田文庫建設など藩の文教事業に大きく貢献し,また尾張尊皇の士を多く育てた。<参考文献>『明倫堂典籍秘録』(名古屋叢書1巻),『名古屋市史人物編』1巻

(ロバート・キャンベル)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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