椿の渡・檜の渡(読み)つばきのわたし・ひのきのわたし

日本歴史地名大系 「椿の渡・檜の渡」の解説

椿の渡・檜の渡
つばきのわたし・ひのきのわたし

[現在地名]下市町大字下市・阿知賀、大淀町大字下淵・越部

檜の渡は下市村下淵しもぶち村をつなぐ吉野川の渡津。南大和の喉元を占める要路で、人馬の往来貨物輸送が頻繁であった。今の千石せんごく橋上流約数百メートルの地点で、丈余の檜の老樹があったが、昭和二五年(一九五〇)の台風で倒れて流失した。古老の言に、船株として下淵側が一四―一五株所有、対岸檜浦ひのきうらから船を出し下淵の今の千石橋詰へ着け、綱を投げて引張ってもらったという。船株は米価石四円の頃一株四〇〇―五〇〇円もしたとのことである。千石橋の記録で古いものは、元禄一七年(一七〇四)の御用留書で三年前に仮橋を架けた費用の割当てがみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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