日本歴史地名大系 「下市村」の解説
下市村
しもいちむら
吉野川南岸、支流
「日本霊異記」中巻第二六に「秋河」がみえ、明応六年(一四九七)の
中近世には一向宗本願寺が当地方に進出、蓮如が明応四年(一四九五)
天明八年(一七八八)の下市村明細帳写(天理図書館蔵)によると、毛付反別は田高反別八町三反二四歩、田畑成高反別三町八畝二七歩、畑高反別三五町六反七畝八歩、茶畑高反別一一町四反五歩、楮畑高反別一町六反四畝二九歩、漆畑高反別二反一歩、屋鋪高(欠)、田畑屋鋪反別六六町八反六畝一八歩となっている。
下市村
しもいちむら
- 広島県:竹原市
- 下市村
豊田郡
「柏木累系」によれば天文九年(一五四〇)下市村は下野村から分村したという。近世には下市村の市街地を竹原町とも称したが、「国郡志下調書出帳」は「竹原と申ハ此辺之惣名ニ而御座候、当所者竹原之川下ニ而市町を成シ候ニ附、下市又竹原町と申候(中略)当所之別名往古よし野浦」とある。同書出帳は付近の様子を、南は海に面し、本川堀によって潮時には市中へ通船の往来が自由にできる。東北は山が連なり、町は山手より本川を中にして両側に家が続き、南は沖口まで一面の塩浜で、西は
下市村
しもいちむら
寛永一四年(一六三七)の駄賃銀宿賃書付(在方御定)によれば
下市村
しもいちむら
下市村
しもいちむら
下市村
しもいちむら
下市村
しもいちむら
下市村
しもいちむら
下市村
しもいちむら
下市村
しもいちむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報