日本歴史地名大系 「椿草里村」の解説 椿草里村つばきぞうりむら 山梨県:南巨摩郡身延町椿草里村[現在地名]身延町椿草里御持(おもち)川(椿川)上流の標高約四六〇メートル、三川が合流する小扇状地に位置し、北は大垈(おおぬた)村、南に枝郷大崩(おおくずれ)村がある。村名の草里は焼畑の意で、河内(かわうち)には同類の地名が多い。年未詳三月二九日の穴山信友朱印状(門西正勝家文書)によると、湯奥(ゆのおく)(現下部町)の佐野縫右衛門に葺板一万枚の進上が命じられており、その際に信友は「つはきさうり山」などでの伐採に人夫を出すと伝えている。慶長古高帳には「椿さうり」とみえ、高三石余。明和五年(一七六八)の村明細帳(松野弘一家文書)によると高二四石余、うち畑一九石余・一〇町三反余、苅立畑四石余・一〇町八反余、家数一四、ほかに寺一があり、人数七一(うち僧一)、馬三、二〇町×二里ほどの御林一ヵ所がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by