日本歴史地名大系 「楊梅通」の解説 楊梅通ようばいどおり 京都市:下京区楊梅通平安京開設の際に開かれた楊梅(やまもも)小路にほぼ該当。五条通の一筋南を、東は東洞院(ひがしのとういん)通より西は東中筋(ひがしなかすじ)通までの間を東西に貫通。また、東中筋通以西では、中堂寺(ちゆうどうじ)通とよばれ、千本(せんぼん)通まで通じる。「明月記」建仁三年(一二〇三)一二月五日条には「夜半許南有火、楊梅南、室町西、一町焼」と本通りに関する火災の記事がみえる。楊梅通に関しては「坊目誌」に、「文明以来全く荒涼に属す。天正中再開する所なり。天使突抜以東を雪踏屋町とも称す」とある。中堂寺通は中堂寺村が町場化する近世以後開通と考えられる。楊梅通の名称由来は不明だが、雪踏屋町(せつたやまち)通の由来は「京羽二重」に「高倉通よりにしへさめがい通迄此すぢにせきだや有」、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」に「此通今雪踏屋多く住居す」とあることから推察できる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by