楚洲村(読み)すしむら

日本歴史地名大系 「楚洲村」の解説

楚洲村
すしむら

[現在地名]国頭楚洲そす

うく村の南方に位置し、東は太平洋に臨む。海岸線は荒磯が多いが、集落楚洲そす川の河口低地に立地する。乾隆元年(一七三六)蔡温の政策によって奥村安田あだ村の間に創設された国頭くんじやん間切の村で、両村間の山林が四里もあって往来が不便であったことが創設理由であった(「球陽」尚敬王二四年条)。しかし立地がよくなくて先年の大風の際には波浪で貯蔵庫などが流され、防波堤を築いたが長くはもたず、乾隆三五年に奥村の東に位置する「楚江兼久原」への移転を許されている。これにより楚洲掟は廃され、奥掟が兼務することとなった(以上、同書尚穆王一九年条)。それでも災害は減らず、地理師の宮城通事親雲上に諮ったところ風水が悪いことを理由に、嘉慶六年(一八〇一)再び旧地に移転を命じられ、楚洲掟が復活した(同書尚温王七年条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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