楡原館跡(読み)にれはらやかたあと

日本歴史地名大系 「楡原館跡」の解説

楡原館跡
にれはらやかたあと

[現在地名]細入村楡原

楡原集落西方の一段小高くなった段丘上にあり、付近一帯を今でもタチ(館)とよぶ。そばには畠山重忠の墓所と伝えられる所がある。また館跡の前面一帯をオトノマエ(御殿前)とよぶが、以前は深田で、館を守る自然の堀の役割を果していたとみられる。一方、館跡の西方にはヤダケ(矢竹)と称する地名があるが、これは中世城館の土塁などによく矢竹が植えられていたことにちなむのであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む