日本歴史地名大系 「楡原村」の解説 楡原村にればらむら 新潟県:栃尾市楡原村[現在地名]栃尾市楡原・新栄(しんさかえ)町一―三丁目小貫(こつなぎ)村の東、刈谷田(かりやだ)川左岸に位置し、地字あしあらい場・川ばたの付近には舟着場があり、楡原河戸(にればらごうど)として刈谷田川舟運の要地であった。文明年間(一四六九―八七)の長尾・飯沼氏等知行検地帳(上杉家文書)に古志六郎右衛門尉分に「楡原・栃堀・塩・天島」とみえる。なお同検地帳には飯沼弾正左衛門尉分高波(たかなみ)保のなかに被官楡原助五郎が本田・増分合計二七〇苅の給地を有しているが、当地にいた土豪と思われる。 楡原村にれはらむら 富山県:婦負郡細入村楡原村[現在地名]細入村楡原神通川左岸、岩稲(いわいね)村・割山(わりやま)村の南にあり、飛騨街道が通る。西方に御鷹(おたか)山(七八二・一メートル)がそびえる。地名はニレの木が繁茂していたことに由来するという説、ニレが平らな地形を意味するという説もある。中世は楡原保としてみえる。正保郷帳に村名がみえ、高六八四石余、田方二九町六反余・畑方一六町余。寛政二年(一七九〇)の高物成品々手鏡では古高五七七石余・定免四ツ二歩六厘、銀納とあり、草野高六千歩(一〇〇歩につき三分五厘)、定小物成は山役銀一〇三匁八分一厘・漆役銀二匁五厘・蝋役銀八匁六分・鱒川役銀六匁九分三厘・鮎川役銀四匁・鮭川役銀二匁・牛役銀七七匁六分八厘。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by