日本歴史地名大系 「楽々賀名」の解説 楽々賀名ささかみよう 鳥取県:岩美郡岩美町池谷村楽々賀名池谷の佐坂(いけだにのささか)(楽賀)付近にあった中世の名で、外(との)村の姥(うば)ヶ谷(だに)城(姥ヶ山城)に拠っていた吉見氏の被官と伝えられる田中氏が代々伝領した。楽々か・篠加・楽々家・楽坂などとも記した。寛正三年(一四六二)八月四日の政家宛行状(田中文書)に「さゝか半名」とみえる。政家は群書類従本「吉見系図」にみえる吉見政家(弥次郎)で、康正二年(一四五六)小田(おだ)保の段銭を上納している吉見弥二郎と同一人物と考えられる。文正元年(一四六六)一二月一一日の楽々賀半名斗代注文(田中文書)によれば田地は本田七筆合計四段八〇歩と、段銭のみ負担する神田二筆分二段の合計六段八〇歩から構成され、年貢米は「田付」という付加税とともに合計五石三斗余、公事給三石余を引いた定米二石三斗五升四合三勺であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by