朝日日本歴史人物事典 「榊原政岑」の解説
榊原政岑
生年:正徳3(1713)
江戸中期の播磨国(兵庫県)姫路藩主。旗本であったが,宗家榊原政祐の養子となり,享保17(1732)年政祐の死後,家督を相続して姫路藩主となる。白昼行列を整えて遊里・吉原に通い,三浦屋の遊女10代目(7代目とも)高尾を身請けするなどしたため,寛保1(1741)年,幕府の命により隠居。あとを継いだ政永は越後高田に転封され,政岑も高田で死去した。政岑の放蕩は世に喧伝され,さまざまな巷説を生んだが,事実は,尾張藩主徳川宗春と結び,将軍徳川吉宗の政策に反対する意図的な行為であったとする説もある。
(関井光男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報