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榊原政岑 さかきばら まさみね

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

榊原政岑 さかきばら-まさみね

1715-1743 江戸時代中期の大名。
正徳(しょうとく)5年5月19日生まれ。榊原勝治(かつはる)の子。榊原政祐(まさすけ)の養子となり,享保(きょうほう)17年播磨(はりま)(兵庫県)姫路藩主榊原家第2次3代。江戸新吉原の遊女高尾を身請けするなどの不行跡を幕府にとがめられ,寛保(かんぽう)元年隠居謹慎となる。子の政永は越後(えちご)(新潟県)高田に転封(てんぽう)となった。寛保3年2月17日死去。29歳。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

榊原政岑

没年:寛保3.2.19(1743.3.14)
生年:正徳3(1713)
江戸中期の播磨国(兵庫県)姫路藩主。旗本であったが,宗家榊原政祐の養子となり,享保17(1732)年政祐の死後,家督を相続して姫路藩主となる。白昼行列を整えて遊里・吉原に通い,三浦屋の遊女10代目(7代目とも)高尾を身請けするなどしたため,寛保1(1741)年,幕府の命により隠居。あとを継いだ政永は越後高田に転封され,政岑も高田で死去した。政岑の放蕩は世に喧伝され,さまざまな巷説を生んだが,事実は,尾張藩主徳川宗春と結び,将軍徳川吉宗の政策に反対する意図的な行為であったとする説もある。

(関井光男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の榊原政岑の言及

【致仕】より

…一つは老年や病気によって奉公が十分できなくなって致仕する一般的な場合,もう一つは懲罰的な場合である。後者には,遊女との遊興が過ぎて1741年(寛保1)致仕させられた榊原政岑の例や,大老井伊直弼のやり方に反対して1858年(安政5)致仕に追い込まれた徳川慶恕(よしくみ)(慶勝),松平慶永(春岳)などの例がある。処罰の場合,原則として藩政には関与できないが,一般的理由なら,前藩主として時には藩政に口をはさむこともあった。…

※「榊原政岑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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