榎村(読み)えのきむら

日本歴史地名大系 「榎村」の解説

榎村
えのきむら

[現在地名]大津市葛川梅かつらがわうめ木町きちよう

町居まちい村の北、安曇あど川上流の葛川谷にあり、若狭街道沿いに集落がある。安曇川支流の針畑はりはた川が西から合流し、その谷沿いに鍵坂を経て山城国久多くた(現京都市左京区)に通じる久多越があった(輿地志略)。元亀二年(一五七一)明王みようおう院本堂の舞台普請役として「榎木」は人夫三五人を負担している(四月二七日「舞台普請日記」葛川明王院史料)。村名は近世の郷帳類では一貫して榎(榎木)村。正保郷帳に村名がみえ、高八三石余。


榎村
えのきむら

[現在地名]庄和町榎

神間かんま村の西、庄内古しようないふる川左岸に立地する。正保(一六四四―四八)頃に開発され、慶安(一六四八―五二)頃に榎新田となり、延宝三年(一六七五)には榎村と称したという(郡村誌)元禄郷帳に村名がみえ、高四四八石余。当初幕府領(享保一一年「江戸川通川除出入裁許請書」土生津家文書など)、延享三年(一七四六)に三卿の一橋領になったとされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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