日本歴史地名大系 「榛沢村」の解説 榛沢村はんざわむら 埼玉県:大里郡岡部町榛沢村[現在地名]岡部町榛沢半沢とも記す。北を小山(こやま)川(身馴川)、東を志戸(しど)川に挟まれた沖積低地にあり、東は志戸川を境に沓掛(くつかけ)村・西田(にしだ)村、西は児玉郡栗崎(くりさき)村(現本庄市)、南は後榛沢(うしろはんざわ)村、北は小山川を境に同郡西五十子(にしいかつこ)村・東五十子村(現本庄市)。かつては後榛沢村・榛沢新田を含んでいたという(風土記稿)。「和名抄」にみえる榛沢郡榛沢郷の遺称地とされ、古代条里遺構が字沖田(おきた)に認められたが、現在は消滅。丹党榛沢氏の名字の地とされ、秩父基房の子成房は榛沢三郎を称した(「丹党系図」諸家系図纂)。その子六郎成清は平安末期から鎌倉初期にかけて活躍し、「保元物語」(官軍勢汰へ并びに主上三条殿に行幸の事)では源義朝に属した榛沢丹六としてその名がみえる。文治五年(一一八九)七月一九日、源頼朝は奥州の藤原泰衡追討のため鎌倉を発向、榛沢成清は先陣を勤めた畠山重忠の随兵五騎のなかに入っていた(吾妻鏡)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by