榛谷御厨(読み)はんがやのみくりや

日本歴史地名大系 「榛谷御厨」の解説

榛谷御厨
はんがやのみくりや

あさひ区・保土ほど区一帯に広がっていたと推定される伊勢内宮の御厨。建久三年(一一九二)八月日の伊勢大神宮神領注文(神宮雑書)によれば、神宮と現地の間に立つ給主は故民部卿家、保安三年(一一二二)に御厨として建立されて以後代々の国司により承認された。年貢にあたる供祭物は白布三〇反、および斎宮寮への納物を務めている。「神鳳鈔」には内宮領で白布三〇疋とのみ記される。建武三年(一三三六)と推定される八月三〇日光厳上皇院宣案(実相院文書)には京都岩倉いわくらの実相院門跡の管理する南滝院領の一つとして当御厨の名がみえる。ここを名字の地とする武士に秩父氏一族の小山田有重の子で稲毛重成の弟の榛谷重朝がおり、鎌倉時代初期に活躍した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報