日本歴史地名大系 「槇島村」の解説
槇島村
まきのしまむら
- 京都府:宇治市
- 槇島村
中世以前の宇治川は、河口部で分岐し、中州を形成しつつ巨椋池に流入していたが、当村はその中州に発達した集落を中心に開けた。文禄三年(一五九四)豊臣秀吉が伏見城(跡地は現京都市伏見区)建設の付帯工事として宇治川左岸に槇島堤を設け、流路を一本化して現状のものとしたため、村域は著しく変貌した。すなわちかつての分流は耕地化され、宇治郷・小倉村・向島村とは陸続きになって、島(中州)ではなくなった。
村域には部分的に条里地割の分布がみられ、この中州の開拓は古代と考えられ、しかも北部には十一・十六・十八などの小字名がある。これらは条里地名の遺称と考えられ、その分布状態から紀伊郡の条里遺構と推定されている(宇治市史)。それに従えば、古代の紀伊・久世郡界は、当村の中央を西北流する宇治川旧流路の一つにあったことになる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報