権現堂古墳(読み)ごんげんどうこふん

日本歴史地名大系 「権現堂古墳」の解説

権現堂古墳
ごんげんどうこふん

[現在地名]御所市大字樋野

天安川あめのやすかわ神社境内にあり、飯振いぶり古墳ともよばれる。東南から西北に延びる尾根上に築かれ、墳丘は径約一五メートルくらいの円墳と推定。南南東に向く横穴式石室の羨道部は土砂埋没玄室の奥壁部は破壊されている。石室は片袖式で、長さ約四・二メートル、幅約二・三メートル、高さ二メートルで、そのほぼ中央部に刳抜式の家形石棺が置かれている。凝灰岩の石棺は現高約五五センチ、蓋もほぼ同高で、長さ約二・三メートル、幅約一・一メートル、蓋に四個の円筒状縄掛突起を付け、羨道側に石枕が造り付けられ、家形石棺としては比較的古い形式。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の権現堂古墳の言及

【巨勢氏】より

…孝徳朝の左大臣徳太(徳陀古),天智朝の御史大夫比等,708年(和銅1)に太宰大弐に任じられた多益須,715年(霊亀1)中納言に任じられた麻呂,718年(養老2)に中納言に任じられた邑治(おおじ)らがいる。御所市古瀬およびその周辺には,権現堂古墳(径約15mの円墳,6世紀前半の築造),新宮山古墳(径約25m,6世紀中葉~後半の築造),水泥古墳(径約14mの円墳,7世紀初頭の築造)があり,いずれも巨勢氏の奥津城と考えられる。また,御所市古瀬には,大きな心礎の残存する寺院跡がある。…

※「権現堂古墳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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