横井古城(読み)ヨコイ コジョウ

20世紀日本人名事典 「横井古城」の解説

横井 古城
ヨコイ コジョウ

江戸時代末期〜大正期の戦史研究家



生年
弘化2年1月8日(1845年)

没年
大正5(1916)年3月16日

出生地
豊前国下毛郡鶴居村大字永添(大分県中津市)

本名
横井 忠直

主な受賞名〔年〕
勲三等瑞宝章〔明治40年〕

経歴
安政3年(1856年)日田咸宜園広瀬青邨らに学び、文久元年(1861年)塾頭となる。のち中津で私塾・培養舎を開く。明治2年中津藩校教授となるが、京都の平田銕胤について国学を習い、京都府庁の権大属、学務課長となった。京都府立中学校教師を兼ね、また私学・共学舎の設立、経史を教えた。13年東京に出て学友・秋月新太郎の推薦で陸軍省御用掛となり、参謀本部課僚、17年陸軍大学校教授を経て、23年陸軍編集となり、戦史編集に従事する。日清戦争では大本営部付、日露戦争では満州軍総司令部付となる。長篠の戦いや日清戦争・日露戦争の戦史、広開土王(374〜412・高句麗王)碑文の研究は特に著名である。著書に「征西戦記」「日本戦史」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「横井古城」の解説

横井古城 よこい-こじょう

1845-1916 江戸後期-大正時代の儒者,戦史編修者。
弘化(こうか)2年1月8日生まれ。横井豊山(ほうざん)の長男咸宜(かんぎ)園で広瀬青邨(せいそん)にまなび,塾頭となる。のち郷里豊前(ぶぜん)中津(大分県)で私塾培養舎をひらく。明治2年中津藩校教授。13年東京にでて陸軍大学校教授をへて陸軍編修となり,戦史編修に従事。大正5年3月16日死去。72歳。名は忠直。通称は寿一郎。別号に永天。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例