横山浦(読み)よこやまうら

日本歴史地名大系 「横山浦」の解説

横山浦
よこやまうら

伊呂波いろは川の中流域、横山谷と通称される現宇佐市上元重かみもとしげ・下元重・すえ木内きのうちなかくろ山下やましたなどの一帯にあたり、麻生あそうも含まれていたと推定される。当浦全域はかつて宇佐宮宇佐庄(御炊殿造営料所)であった可能性が高く、その後宇佐庄内の名田は他の目的に転用されたものと推察される。史料では横山庄ともみえる。当浦内には成弘なりひろ(宇佐宮若宮経番料所)末弘すえひろ(宇佐宮行幸会瀬社御供免田)などがある。当浦の鎮守は上元重の若八幡宮(現若八幡神社)。「元暦文治記」によると、元暦元年(一一八四)豊後国緒方惟栄らが宇佐宮に乱入する前に、大宮司宇佐公通らの同宮神官は横山の山に避難していたという。延慶三年(一三一〇)宇佐宮番長宇佐愛輔は同宮行幸会の社御供免田内の「横山浦末弘名」田三反(今手ともいう)などについて同名を蕗左衛門尉基泰から伝領した宇佐氏女(天水田女と号す)対捍を止めるよう訴えている(同年九月日「宇佐愛輔申状」永弘文書)。延文三年(一三五八)「横山今手名」の御供米を林頼重が抑留していた(正平一三年六月日「永弘重輔申状案」同文書)。応永二一年(一四一四)三月六日には大内盛見が末弘名内久木五段を屋形助五郎に安堵している(「智得等連署奉書」屋形三郎文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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