横山耐雪(読み)ヨコヤマ タイセツ

20世紀日本人名事典 「横山耐雪」の解説

横山 耐雪
ヨコヤマ タイセツ

明治・大正期の漢詩人,医師 島根県医師会副会長。



生年
慶応4年5月1日(1868年)

没年
大正12(1923)年8月26日

出生地
島根県仁多郡北原村(現・木次町)

本名
大蔵

学歴〔年〕
第三高等中学校医学部卒

経歴
幼少の頃から漢学を学び、雨森精翁・内村鱸香らに師事。第三高等中学校医学部を卒業後、郷里島根県で医療に携わり、明治24年日登村で開業眼科名医として知られ、のちには島根県医師会副会長などを歴任した。他方、医師で漢詩人の永坂石埭に親炙し、36年松江で漢詩結社「剪淞吟社」を結成。その運営や機関誌「剪淞詩文」の編集を担当したほか、41年には山陰大詩会を開催するなど山陰漢詩壇の盟主と仰がれた。七古の長詩に秀で、出雲山水を詠んだ詩を数多く残した。また、連句連作などもよくした。詩集に「小廬山集」「出雲詩綜」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「横山耐雪」の解説

横山耐雪 よこやま-たいせつ

1868-1923 明治-大正時代の医師,漢詩人。
慶応4年5月1日生まれ。第三高等中学医学部(岡山大医学部の前身)を卒業後,郷里島根県にかえり,明治24年日登(ひのぼり)村(木次(きすき)町)で開業,眼科診療にすぐれた。のち島根県医師会副会長などを歴任。この間上京し永坂石埭(せきたい)に漢詩をまなび,36年松江で剪淞(せんしょう)吟社を創立。大正12年8月26日死去。56歳。本名は大蔵。字(あざな)は士静。著作に「出雲詩綜」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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