俳諧(はいかい)用語。十七音節(五・七・五)の長句と十四音節(七・七)の短句を、一定の規則に従って交互に付け連ねる様式の詩文芸。第一句(長句)を発句(ほっく)または立句(たてく)、第二句(短句)を脇句(わきく)、第三句(長句)を第三の句といい、この三句を一括して三(み)つ物(もの)とよぶ。第二句以下を発句に対して付句(つけく)、第四句以下を三つ物と区別して平句(ひらく)、最終の句(短句)を挙句(あげく)(揚句)という。所定の句数に達したものを一巻とよぶが、一巻が百句からなる百韻(ひゃくいん)が基本形式で、千句、十百韻(とっぴゃくいん)(百韻十巻)、万句、米字(よねじ)(八八句)、五十韻(百韻の前半)、世吉(よよし)(四四句)、歌仙(かせん)(三六句)ほか多くの種類がある。連句の形式はもと連歌に準拠したもので、正しくは「俳諧之連歌」略して「俳諧」というが、俳諧の発句が独立して俳句とよばれるようになると、それと区別し、また連歌と区別するために連句と称されるに至った。
連句は一巻を貫くテーマをもたず、人生や自然の種々相を描いて句々変化を尽くすところに生命がある。連句の最小単位は付句(付ける句)、前句(付けられる句)、打越(うちこし)(前句の前の句)の三句であるが、付句の内容が打越に触れることを嫌い、三句目の転じが力説されたのはそのためである。また、一巻の模様や付け運びについても、さまざまな規約(式目(しきもく)・作法)が設けられた。同じ語彙(ごい)の重複を避けるための一座何句物、同季・同字または同種・類似の語が近接する指合(さしあい)(差合)を避けるための去嫌(さりきらい)、四季・恋・神祇(じんぎ)・釈教(しゃっきょう)等の題材を何句続けるかという句数(くかず)、とくに花・月の句を布置すべき場所を指示した定座(じょうざ)(常座)などである。連句は半折した懐紙にしたためられる。芭蕉(ばしょう)らの蕉風俳諧で主流をなした歌仙形式は、初折(しょおり)(一の折)の表六句、同裏12句、名残(なごり)(二の折)の表十二句、同裏六句の割合であった。
付句を付けることを付合(つけあい)というが、付合の手法にもさまざまなくふうが凝らされた。連歌の式目をもとに俳諧の式目を完成させた貞門(ていもん)俳諧では、その啓蒙(けいもう)的な性格と相まって、語に語を付ける単純な「物付(ものづけ)」が主流をなし、三句目の転じは多く前句中の語を同音の他の語に転じて付ける「取成(とりなし)付」によった。貞門の付合がようやくマンネリズムに陥ると、談林(だんりん)俳諧が勃興(ぼっこう)し、貞門と共通の付けことばを用いながら、飛躍的な句意の転化と、すばやい付け運びを特徴として一世を風靡(ふうび)した。放しつつ寄せる「あしらい」、その語を抜いてそれとわかるように句を作る「ぬけ」が重用された。蕉風俳諧は元禄(げんろく)期(1688~1704)の新風の一体として、前句に似つかわしい肌合いの句を付け寄せる「移り」(映り)を主体とし、さらにそれを余情による「匂(にお)い付(づけ)」へと深化させた。
こうして連句は詩的達成を遂げるが、付合の契機から語や句意を疎外した結果、やがて解体へと向かうことになる。蕪村(ぶそん)も一茶(いっさ)も連句をよくしたが、俳諧文学の主流は発句によって占められた。事実上連句が終末を迎えるのは、正岡子規(しき)によって「発句は文学なり、連俳は文学に非(あら)ず」(芭蕉雑談)と説かれた明治近代においてであった。連句は現在、自我への固執から近代文芸の陥った閉塞(へいそく)状況を打開する試みの一つとして、ふたたび多くの人々の関心を集めつつある。
[乾 裕幸]
『乾裕幸・白石悌三著『連句への招待』(1980・有斐閣新書)』▽『安東次男著『連句入門――蕉風俳諧の構造』(1981・筑摩書房)』▽『井本農一・今泉準一著『連句読本』(1982・大修館書店)』▽『中村俊定校注『日本古典文学大系45 芭蕉句集(連句篇)』(1962・岩波書店)』▽『中村俊定・堀切実注解『完訳日本の古典54 芭蕉句集(連句編)』(1984・小学館)』
17音(5・7・5)の長句と14音(7・7)の短句を交互に連ねていく文芸形式。元来は〈俳諧〉と称した。俳諧とは滑稽の意で,〈俳諧の連歌〉の略称であるが,1630年(寛永7)ごろに連歌から独立し,半世紀をへて1680年代(天和・貞享)に旧来の連歌,俳諧を止揚する新しい様式を確立した。それが蕉風俳諧である。
100句で終結する百韻が正式のもので,これを基準にして半分で止めるものを五十韻,10巻重ねるものを千句または十百韻(とつぴやくいん),100巻重ねるものを万句という。百韻連歌の成立は13世紀ごろで,俳諧もこれを継承したが,蕉風俳諧の確立に,36句で終結する略式の歌仙が用いられてからは,この形式が普通になった。一巻の発端の長句を発句(ほつく),次の短句を脇(脇句),次の長句を第三,終結の短句を挙句(あげく)と称し,ほかは一括して平句(ひらく)という。発句,脇,第三,挙句は一巻の起・承・転・結にあたり,原則として正客,亭主,相伴,執筆(しゆひつ)がそれぞれを担当する。例外的に一巻を一人でよむ独吟もあるが,通常は連衆(れんじゆ)が一座して即興で両吟,三吟,四吟……などの共作を行う。いわば共同体の文芸であり,封建時代の産物である。したがって封建的な共同体が崩壊すると,俳諧も衰微する。発句の独詠は古くからあったが,発句とよばれるかぎりは,つねに脇以下を呼びおこす期待と可能性をはらんでいた。発句がその期待を封じることによって俳句という近代文芸に生まれかわったとき,切り捨てられた可能性の形式に与えられたのが〈連句〉という名称であり,高浜虚子によって広められた。1970年以降,自我の表現を命題とする近代文芸のゆきづまりを指摘する人々の間で,連句再評価の動きがあるのも,ゆえなしとしない。
連句は一巻の中に移りゆく自然と人生の諸相をよみこみながら,同じ事を反復することなく変化にとんだ展開を心がけ,かつ全体として均衡がとれていることが大切であり,そのために種々の規約が設けられている(式目)。いずれも連歌の規約を緩和したもので,一巻の運びに序破急の要領を適用したり,特定の語彙についてその使用数を制限したり,同季や同種の語彙の使用について何句続け,何句隔てよと規定したり,四季の代表的風物である月,花をバランスよく詠出するために定座(じようざ)を指定したりする。また各句は前句に付きながらも,その前句から離れていくことが肝要である。独立性のない句作りはもとより嫌われる。付けるというのは鑑賞と創作をかねる行為であり,各句は,前の句に付き次の句に付けられることで,両義化しながら連なっていく。そのため一貫した筋や主題の展開はありえない。付ける手法には,言葉の連想による物付(ものづけ),意味の展開による心付(こころづけ),余情の映発による匂付(においづけ)の3段階があり,後者ほど高級とされた。
→歌仙 →付合
執筆者:白石 悌三
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…連歌,俳諧用語。連句制作のための集会または会席をいう。その構成要員は,一座をさばく師範格の宗匠と,宗匠を補佐しつつ句を懐紙に記録する書記役の執筆(しゆひつ)と,一般の作者である複数の連衆(れんじゆ)から成る。…
…俳諧用語。連句一巻の中で,月・花の句をよむように指定された所。四季の景物を代表する月と花を,懐紙各折の表裏にもれなく配するための規定である。…
…〈寄合(よりあい)〉と同義に用いることもあるが,普通には17音節(5・7・5)の長句と14音節(7・7)の短句を,ことば,意味,情趣などを契機として付け合わせたもの,また交互に付け連ねることをいう。付合の集積によって成立した連句文芸では,発句(ほつく)以外の句をすべて付句(つけく)と呼ぶが,2句一章の最小単位では,付けられる句を前句,付ける句を付句と称する。前句が長句,付句が短句の付合は短歌に似るが,前句が独立しつつも蓋然性に富む意味内容をもち,その判断を付句の作者の読みにゆだねるという点で,短歌とはまったく異なる。…
…しかし,発句(ほつく)は縁語や懸詞などによる〈見立て〉が中心をなし,滑稽感に乏しい。また連句(れんく)は,ことばからことばへの連想をたどる〈親句(しんく)〉が主で,句境の転化・飛躍は多く〈取成付(とりなしづけ)〉によったため,句意の断絶するきらいがあった。ただ貞門末期には〈心付(こころづけ)〉が重んじられ,《紅梅千句》に一つの詩的達成を見いだすことができるが,それも連歌への近接によるところが大きかった。…
※「連句」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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