横山雅男(読み)ヨコヤマ マサオ

20世紀日本人名事典 「横山雅男」の解説

横山 雅男
ヨコヤマ マサオ

明治〜昭和期の統計学統計学社社長。



生年
文久2年12月16日(1863年)

没年
昭和18(1943)年2月12日

出生地
安芸国(広島県)

学歴〔年〕
広島県師範卒,共立統計学校〔明治19年〕卒

経歴
小学校教諭を経て上京し、共立統計学校に入学、日本統計学の祖である杉亨二に師事する。明治19年に同校卒業後、22年にスタチスチック社(のち統計学社に改称)に入り、幹事として「統計学雑誌」の編集を担当。23年には陸軍省御用掛となって統計の編纂従事、33年には陸軍大学校教授に任ぜられた。41年国勢調査準備委員会幹事、大正2年には内閣統計官となり、9年の第一回国勢調査で主導的な役割を果たした。15年統計学社社長に就任生涯にわたって統計学の発展・普及に尽力し、数多くの論文を執筆したほか、全国各地を遊説して統計の講義を行った。著書に「統計通論」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「横山雅男」の解説

横山雅男

没年:昭和18.2.12(1943)
生年:文久2.12.16(1863.2.4)
明治大正を通じて統計の普及発展に尽くす。広島県生まれ。広島県師範学校を卒業,小学校教員のあと上京,明治19(1886)年共立統計学校を卒業,杉亨二を師と仰ぐ。23年陸軍省御用係,統計の編纂を行い,33年陸軍大学校の統計学教授となる。41年国勢調査準備委員会幹事となり,大正2(1913)年内閣統計官。9年の第1回国勢調査に活躍した。また明治22年スタチスチック社(25年に統計学社)の幹事となり『統計学雑誌』を編集,多数の論文を掲載。大正15年に社長となる。統計学の講師として全国を遊説し,著書『統計通論』は四十数版を重ねた。<参考文献>『統計学雑誌』(昭和18年3月号)

(永山貞則)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「横山雅男」の解説

横山雅男 よこやま-まさお

1863*-1943 明治-昭和時代前期の統計学者。
文久2年12月16日生まれ。上京して共立統計学校でまなび,スタチスチック社で「統計学雑誌」の編集にあたる。明治33年陸軍大学校教授。大正2年内閣統計官となり,9年第1回国勢調査を指導した。昭和18年2月12日死去。82歳。安芸(あき)(広島県)出身。広島師範卒。著作に「統計通論」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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