日本歴史地名大系 「横淵村」の解説 横淵村よこぶちむら 秋田県:北秋田郡鷹巣町横淵村[現在地名]鷹巣町七日市(なのかいち) 横渕(よこぶち)米内沢(よないざわ)村(現森吉(もりよし)町)方面から北上する阿仁(あに)街道と小猿部(おさるべ)川の交点付近に位置する。天文年間(一五三二―五五)の浅利則頼侍分限帳(佐藤文書)に「知行四百刈 横淵村住 横淵甚兵衛」とある。文禄初年頃、秋田実季の侵害を受け、慶長二年(一五九七)の浅利頼平領内村数覚書(秋田家文書)には「よこふち村 家まへハ七、いまハなし」と騒乱の影響が記される。慶長六年横淵村のうち三六石四斗は実季の蔵入に指定される(「秋田実季侍分限」秋田家文書)。寛永一七年(一六四〇)には大館(おおだて)城代も村内田地を開田(「佐竹大館文書」県立秋田図書館蔵)。享保一五年(一七三〇)の戸数は一七軒(六郡郡邑記)。寛政六年(一七九四)の六郡惣高村附帳では、蔵分当高のみの九六石七斗余だが、近世を通じかなりの給分当高もあり、大館(現大館市)・久保田(くぼた)(現秋田市)給人に分給されていた(「御判紙写帳」県立秋田図書館蔵)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by