橋本凝胤(読み)ハシモト ギョウイン

20世紀日本人名事典 「橋本凝胤」の解説

橋本 凝胤
ハシモト ギョウイン

昭和期の僧侶,仏教学者 薬師寺長老;元・法相宗管長。



生年
明治30(1897)年4月28日

没年
昭和53(1978)年3月25日

出生地
奈良県生駒郡平群村(現・平郡町)

学歴〔年〕
宗教大学(現・大正大学)〔大正12年〕卒,東京帝大印度哲学科〔大正14年〕卒

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和35年〕,奈良市名誉市民〔昭和47年〕

経歴
明治37年7歳で法隆寺住職・佐伯定胤について得度。上京して宗教大、東大を卒業。昭和14年薬師寺管主となり、18年法相宗第126代管長に就任、大僧正に進む。以後、42年に高田好胤に管長を譲り薬師寺長老となるまでつとめる。戦前戦後を通じて各種委員会・審議会で幅広く活躍、日本仏教文化協会長も務め、38年には核禁宗教使節として渡欧。また飛鳥平城京保存会理事長、奈良をまもる会代表を務め古都保存運動に尽力した。仏教学者としては唯識学の権威として「大正新脩大蔵経」の編纂参画、「仏教教理史の研究」などを刊行した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「橋本凝胤」の解説

橋本凝胤 はしもと-ぎょういん

1897-1978 昭和時代の僧,仏教学者。
明治30年4月28日生まれ。佐伯定胤(じょういん)について出家。昭和14年薬師寺管主。法相(ほっそう)宗管長をつとめ,42年管主を高田好胤にゆずって薬師寺長老となる。インドブッダガヤ仏塔をたてたほか,平城宮跡の保存につくした。唯識学の権威。昭和53年3月25日死去。80歳。奈良県出身。宗教大(現大正大)卒,東京帝大卒。著作に「仏教教理史の研究」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「橋本凝胤」の解説

橋本 凝胤 (はしもと ぎょういん)

生年月日:1897年4月28日
昭和時代の僧侶;仏教学者。大僧正;薬師寺長老
1978年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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