高田好胤(読み)タカダ コウイン

20世紀日本人名事典 「高田好胤」の解説

高田 好胤
タカダ コウイン

昭和・平成期の僧侶 薬師寺管主;法相宗管長。



生年
大正13(1924)年3月30日

没年
平成10(1998)年6月22日

出生地
大阪府大阪市

本名
高田 好一

学歴〔年〕
龍谷大学仏教学科〔昭和21年〕卒

主な受賞名〔年〕
龍谷賞〔平成10年〕

経歴
小学5年生で薬師寺に入り、先代住職橋本凝胤のもとで修行する。戦後、年間10万にものぼる修学旅行生相手に説教をはじめ、異色僧侶として評判となる。41年12月から15年3ケ月の間、関西テレビ「ハイ!土曜日です」の好胤説法のコーナーに出演。42年法相宗大本山薬師寺管主、43年法相宗管長。同年より悲願金堂復興のため百万巻写経勧進をおこし、51年達成、金堂を落慶し、その後西塔を再建した。金堂再建後も写経勧進は続き、平成10年に亡くなるまでに六百巻を超えた。また、全国各都府県831市町村を巡り、法話回数は8072回に上った。「心―いかに生きたらいいか」「悟りとは決心すること」などの著書がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「高田好胤」の意味・わかりやすい解説

高田好胤【たかだこういん】

法相(ほっそう)宗の僧侶。大阪府出身。本名好一。1935年に奈良薬師寺入寺。その後,龍谷(りゅうこく)大学仏教学科を卒業し,1949年に薬師寺副住職となる。1967年には薬師寺の第127代管主および法相宗管長となり,同寺の復興に尽くした。副住職在任中は修学旅行生への説法・ガイドを積極的に務め,その法話は〈青空法話〉と呼ばれ,巧みな話術落語家の3代目桂米朝が参考にしたといわれる。薬師寺伽藍再建のための写経運動,講演著作などで広く人々に親しまれた。→伽藍配置

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高田好胤」の解説

高田好胤 たかだ-こういん

1924-1998 昭和-平成時代の僧。
大正13年3月30日生まれ。昭和10年12歳で奈良の薬師寺にはいり,橋本凝胤(ぎょういん)に師事。戦後薬師寺参観者のガイド役をつとめ,修学旅行生らに説教をつづける。42年同寺管主,43年法相宗管長。金堂の再建を計画し,100万巻般若心経写経勧進をおこす。51年落慶,のち西塔も再建。平成10年6月22日死去。74歳。大阪出身。竜谷大卒。著作に「心」「愛に始まる」など。
格言など】やたらに忙しいのはどんなものでしょう。「忙」という字は「心が亡びる」と書きます

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「高田好胤」の解説

高田 好胤 (たかだ こういん)

生年月日:1924年3月30日
昭和時代;平成時代の僧侶。薬師寺管主;法相宗管長
1998年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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