橋本登美三郎(読み)ハシモト トミサブロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「橋本登美三郎」の解説

橋本 登美三郎
ハシモト トミサブロウ


肩書
元・衆院議員(自民党),元・運輸相

生年月日
明治34年3月5日

出生地
茨城県行方郡潮来

学歴
早稲田大学政経学部〔大正15年〕卒

経歴
昭和2年朝日新聞入社。上海支局長を経て、戦後潮来町長を2期つとめ、24年衆院議員に当選。35年第1次池田内閣の建設相、39年佐藤内閣官房長官就任。引き続き党総務会長、運輸相の要職を占め、47年田中内閣成立後党幹事長。51年ロッキード事件に連座し、受託収賄罪逮捕、起訴されて離党。57年6月、1審判決で懲役2年6ケ月、執行猶予3年、追徴金500万円の判決を受け、61年5月東京高裁でも一審通り有罪となった。55年の総選挙で落選。上告中に死去

受賞
勲一等旭日大綬章〔昭和46年〕

没年月日
平成2年1月19日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「橋本登美三郎」の解説

橋本 登美三郎
ハシモト トミサブロウ

昭和期の政治家 元・衆院議員(自民党);元・運輸相。



生年
明治34(1901)年3月5日

没年
平成2(1990)年1月19日

出生地
茨城県行方郡潮来町

学歴〔年〕
早稲田大学政経学部〔大正15年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲一等旭日大綬章〔昭和46年〕

経歴
昭和2年朝日新聞入社。上海支局長を経て、戦後潮来町長を2期つとめ、24年衆院議員に当選。35年第1次池田内閣の建設相、39年佐藤内閣の官房長官に就任。引き続き党総務会長、運輸相の要職を占め、47年田中内閣成立後党幹事長。51年ロッキード事件に連座し、受託収賄罪で逮捕、起訴されて離党。57年6月、1審判決で懲役2年6ケ月、執行猶予3年、追徴金500万円の判決を受け、61年5月東京高裁でも一審通り有罪となった。55年の総選挙で落選。上告中に死去。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「橋本登美三郎」の解説

橋本登美三郎 はしもと-とみさぶろう

1901-1990 昭和時代の政治家。
明治34年3月5日生まれ。朝日新聞社記者,故郷茨城県の潮来(いたこ)町長をへて,昭和24年衆議院議員(当選12回,自民党)。第1次池田内閣・第1次佐藤内閣の建設相,第3次佐藤内閣の運輸相などをつとめ,田中政権では幹事長となるが,ロッキード事件で有罪判決をうけた。平成2年1月19日死去。88歳。早大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「橋本登美三郎」の解説

橋本 登美三郎 (はしもと とみさぶろう)

生年月日:1901年3月5日
昭和時代の政治家。衆議院議員(自民党);運輸相
1990年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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