改訂新版 世界大百科事典 「檜隈寺」の意味・わかりやすい解説
檜隈寺 (ひのくまでら)
奈良県高市郡明日香村にあった寺院。渡来人東漢(やまとのあや)氏の氏寺とされる。文献では《日本書紀》朱鳥元年(686)条に〈百戸を封す〉とあるのが最初の記録である。発掘調査の結果,7世紀後半に金堂,西門が,7世紀末に講堂,塔が造られたことが判明した。このように寺の造営が2期に分かれるのは,当時の東漢氏の政治的消長を反映していると考えられる。中世には道興(どうこう)寺とも称されていたようで,永正10年(1513)の銘をもつ梵鐘が見つかっている。江戸時代になると,十三重石塔(重要文化財)だけを残す荒れ果てたようすが,本居宣長の《菅笠日記(すががさのにつき)》(1772)からうかがわれる。1907年(明治40)東漢氏の祖阿知使主(あちのおみ)を祭る於美阿志(おみあし)神社が寺跡に移された。
執筆者:中井 真孝
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