朝日日本歴史人物事典 「欽古堂亀祐」の解説
欽古堂亀祐
生年:明和2(1765)
江戸後期の京焼の陶工。本名土岐亀助,丹波屋亀助。亀祐と号した。山城(京都府)伏見街道一の橋下ルで代々伏見人形の土偶師であったが,やきものに志し,青木木米,仁阿弥道八,楽只亭嘉介らと共に奥田穎川に師事し,陶技を学んだ。青磁,染付,交趾などの中国陶磁写しに優れ,彫塑的な型物成形の作品には特に優れた才能を発揮した。文化7(1810)年ごろ,摂津の三田に招かれ,三田焼の指導に当たり,得意とする型物成形の技法を生かし,押型文による青磁浮文様に代表される三田青磁の基礎を作った。文政1(1818)年には丹波篠山で王地山焼の磁器窯を指導,同9年紀州藩の御庭焼である瑞芝焼を指導,11年には再び篠山藩に招かれ王地山焼を指導した。13年には磁器を主とし,窯式,窯積,素地・釉薬の調合,青磁,錦焼,交趾の法などについて具体的に記した『陶器指南』を著している。
(伊藤嘉章)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報