欽古堂亀祐(読み)きんこどう・きすけ

朝日日本歴史人物事典 「欽古堂亀祐」の解説

欽古堂亀祐

没年:天保8(1837)
生年明和2(1765)
江戸後期の京焼の陶工。本名土岐亀助,丹波屋亀助。亀祐と号した。山城(京都府)伏見街道一の橋下ルで代々伏見人形の土偶師であったが,やきものに志し,青木木米,仁阿弥道八,楽只亭嘉介らと共に奥田穎川に師事し,陶技を学んだ。青磁,染付,交趾などの中国陶磁写しに優れ,彫塑的な型物成形の作品には特に優れた才能を発揮した。文化7(1810)年ごろ,摂津三田に招かれ,三田焼の指導に当たり,得意とする型物成形の技法を生かし,押型文による青磁浮文様に代表される三田青磁の基礎を作った。文政1(1818)年には丹波篠山で王地山焼の磁器窯を指導,同9年紀州藩の御庭焼である瑞芝焼を指導,11年には再び篠山藩に招かれ王地山焼を指導した。13年には磁器を主とし,窯式,窯積,素地・釉薬の調合,青磁,錦焼,交趾の法などについて具体的に記した『陶器指南』を著している。

(伊藤嘉章)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「欽古堂亀祐」の解説

欽古堂亀祐 きんこどう-かめすけ

1765-1837 江戸時代後期の陶工。
明和2年生まれ。伏見(ふしみ)人形の土偶づくりの丹波屋つぎ,奥田穎川(えいせん)に陶芸をまなぶ。摂津の三田(さんだ)窯(兵庫県)で青磁をつくり,丹波篠山(ささやま)藩(兵庫県)の王地山(おうじやま)焼,和歌山藩の瑞芝(ずいし)焼も指導した。天保(てんぽう)8年3月26日死去。73歳。京都出身。姓は土岐。名は亀助ともかき,「きすけ」ともよむ。著作に「陶器指南」。

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世界大百科事典(旧版)内の欽古堂亀祐の言及

【京焼】より

…なかでも穎川による呉須赤絵写しや古染付写しなどは,本格的な京焼における磁器焼造の初期の作例として注目される。また穎川の門下には青木木米,仁阿弥道八,欽古堂亀祐,三文字屋嘉介らが集まり,染付磁器や青磁,白磁,色絵磁器,交趾釉などに加えて伝統的な京焼の技法にも腕を振るった。木米は文人趣味豊かな煎茶具などで名をなし,亀祐は青磁に,嘉介は五彩磁器に優れ,仁阿弥は典雅な仁清写し,乾山写し,光悦写しなど和様の作品を多く残している。…

※「欽古堂亀祐」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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