歌の中山(読み)ウタノナカヤマ

日本歴史地名大系 「歌の中山」の解説

歌ノ中山
うたのなかやま

謡曲「融」に「語りも尽くさじ言の葉の、歌の中山清閑寺、今熊野とはあれぞかし」とつづられ、清閑せいかん寺と対でよばれることが多い。地名由来の伝説を「都名所図会」は清閑寺の寺伝として載せる。

<資料は省略されています>

江戸時代の地誌にしばしばみえる著名な話だが、その所在地については諸説ある。「京羽二重」は「清水山の南なり、清閑寺の上の山也」とし、これは現在の清閑寺歌ノ中山町の地にあたる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の歌の中山の言及

【清閑寺】より

…菅原道真が梅樹で造ったという本尊の千手観音像と,小鍛冶宗近の念持仏と伝えられる不動明王の霊験は,江戸時代から世に聞こえている。なお,当寺から清水寺に至る山道を俗に〈歌の中山〉といい,転じて〈歌の中山清閑寺〉と対で呼ばれることが多い。【藤井 学】。…

※「歌の中山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む