日本歴史地名大系 「正受寺」の解説 正受寺しようじゆじ 福岡県:行橋市二塚村正受寺[現在地名]行橋市二塚柵見(さくみ)川左岸、二塚(ふたづか)の中央部にある。万歳山と号し、黄檗宗。本尊は阿弥陀如来。「太宰管内志」によれば、天正年中(一五七三―九二)大友氏の兵火により焼失した報恩(ほうおん)寺の跡地に、延宝八年(一六八〇)石山が一宇を建立、福聚(ふくじゆ)寺(現北九州市小倉北区)の法雲を中興開山として招請、現寺号に改称した。宝永五年(一七〇八)小倉藩主小笠原忠雄が寺を新築。正徳二年(一七一二)藩主から黒田(くろだ)村(現勝山町)の田八反三畝余・新畑一反九畝余、二塚村の新田九畝余を寄進されたという(京都郡誌)。小倉領寺院聚録によると臨済宗福聚寺末で、初めは霊芝山と号したという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by