正国寺跡(読み)しようこくじあと

日本歴史地名大系 「正国寺跡」の解説

正国寺跡
しようこくじあと

[現在地名]隼人町内山田

宇都山うとやまにあった。正八幡宮(現鹿児島神宮)の三本地所の一つで、梅霊山無量寿院と号し、律宗。本尊阿弥陀如来開山は円秀。由緒書によれば、亀山院の時、蒙古追伐天下泰平を祈って奈良西大寺叡尊に命じて一国一寺を建立させたといい、当寺はそのうちの大隅国の寺であったと伝える。だがこの伝承や元徳二年(一三三〇)とされる創建年代など由緒書の内容には問題がある。中世には南西方原口はるぐち(見次の小字原口にあたるか)にあって正宮の戒壇所と号し、八月一五日の浜殿下りの時には神輿を安置し、放生会を行ったと伝える(三国名勝図会)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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