…一方山間部の真里谷城(木更津市真里谷(まりやつ)),庁南城(長生郡長南町),大多喜城(夷隅郡大多喜町)には守護代武田氏一族が拠り,古河公方,小弓公方を支持して活動したが,天文期の内争により衰えた。すなわち44年(天文13)里見義尭の宿将正木時茂が大多喜城に拠る武田朝信を攻め,朝信は敗れて自殺し,武田氏に代わって正木時茂が大多喜城主となったのである。またそのころ東上総の勝浦付近も武田氏の勢力範囲であったが,正木軍が進出してこれを制圧,勝浦,一宮の諸城は正木氏一族の拠点となった。…
※「正木時茂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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