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正木時茂 まさき ときしげ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

正木時茂 まさき-ときしげ

?-1630 織豊-江戸時代前期の武将。
里見義頼(よしより)の次男。天正(てんしょう)9年正木憲時(のりとき)の死で正木家をつぎ,上総(かずさ)(千葉県)小田喜(大多喜)城主。慶長19年改易された安房(あわ)(千葉県)館山(たてやま)藩主里見忠義にしたがい伯耆(ほうき)(鳥取県)倉吉にうつり,のち鳥取藩にあずけられた。寛永7年6月20日死去。通称は弥九郎,大膳亮。名は時尭(ときたか)とも。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

正木時茂

生年:生没年不詳
戦国時代の武将。上総小田喜城(千葉県大多喜町)城主。大膳亮。時綱の子。里見氏の部将で,はじめは安房山之城(千葉県鴨川市)城主であったが,天文13(1544)年に上総小田喜の武田氏が滅びると,この地に入って上総東部を制する大領主として成長した。里見義尭・義弘に従う形で里見氏の活動を支え,永禄3(1560)年には北条氏の上総侵入を防ぎつつ,里見氏を代表して越後の上杉謙信と通じてその出兵を要請,翌4年には謙信の小田原攻めに参加している。勇猛の武将として知られ,ことに槍をよくしたという。<参考文献>『大多喜町史』

(山田邦明)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の正木時茂の言及

【上総国】より

…一方山間部の真里谷城(木更津市真里谷(まりやつ)),庁南城(長生郡長南町),大多喜城(夷隅郡大多喜町)には守護代武田氏一族が拠り,古河公方,小弓公方を支持して活動したが,天文期の内争により衰えた。すなわち44年(天文13)里見義尭の宿将正木時茂が大多喜城に拠る武田朝信を攻め,朝信は敗れて自殺し,武田氏に代わって正木時茂が大多喜城主となったのである。またそのころ東上総の勝浦付近も武田氏の勢力範囲であったが,正木軍が進出してこれを制圧,勝浦,一宮の諸城は正木氏一族の拠点となった。…

※「正木時茂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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