武内作平(読み)タケノウチ サクヘイ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「武内作平」の解説

武内 作平
タケノウチ サクヘイ


肩書
衆院議員(民政党)

生年月日
慶応3年10月23日(1867年)

出生地
伊予国今治(愛媛県)

学歴
関西法制学校卒 東京専門学校卒

経歴
明治30年大阪に法律事務所を開設、大阪地裁検事局所属弁護士を務め、大阪弁護士会会長。一方大阪土地建物、岡山電気軌道、阪神電鉄各重役などを歴任。明治35年愛媛県から衆院議員となり、以後大阪から当選8回。憲政会、民政党に属し、愛媛県民政党支部長。海軍、大蔵各政務次官、衆院予算委員長、民政党総務を歴任。昭和6年第2次若槻礼次郎内閣法制局長官となった。

没年月日
昭和6年11月8日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「武内作平」の解説

武内 作平
タケノウチ サクヘイ

大正・昭和期の政治家,弁護士 衆院議員(民政党)。



生年
慶応3年10月23日(1867年)

没年
昭和6(1931)年11月8日

出生地
伊予国今治(愛媛県)

学歴〔年〕
関西法制学校卒,東京専門学校卒

経歴
明治30年大阪に法律事務所を開設、大阪地裁検事局所属弁護士を務め、大阪弁護士会会長。一方大阪土地建物、岡山電気軌道、阪神電鉄各重役などを歴任。明治35年愛媛県から衆院議員となり、以後大阪から当選8回。憲政会、民政党に属し、愛媛県民政党支部長。海軍、大蔵各政務次官、衆院予算委員長、民政党総務を歴任。昭和6年第2次若槻礼次郎内閣の法制局長官となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武内作平」の解説

武内作平 たけのうち-さくへい

1867-1931 明治-昭和時代前期の政治家。
慶応3年10月23日生まれ。大阪弁護士会会長,岡山電気軌道などの重役をつとめる。明治35年衆議院議員(当選8回,民政党)。第2次若槻(わかつき)内閣の法制局長官在任中の昭和6年11月8日死去。65歳。伊予(いよ)(愛媛県)出身関西法律学校(現関西大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「武内作平」の解説

武内 作平 (たけうち さくへい)

生年月日:1867年10月23日
大正時代;昭和時代の政治家;弁護士。大阪地裁検事局所属弁護士;衆議院議員
1931年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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