武林唯七(読み)たけばやし・ただしち

朝日日本歴史人物事典 「武林唯七」の解説

武林唯七

没年元禄16.2.4(1703.3.20)
生年:寛文12(1672)
江戸前期の武士赤穂四十七士のひとり。名は隆重先祖は中国,武林の人で,豊臣秀吉朝鮮出兵の際,明の援軍一員として従軍,捕らえられて日本にきたという。播磨国(兵庫県)赤穂浅野家の長矩に仕えて中小姓,近習を務め,長矩の刃傷沙汰で浅野家が断絶すると,母のたっての希望もあって大石良雄らと盟約を結び,渡辺七郎右衛門と名を変えて仇敵吉良義央動静を窺い,吉良邸討ち入り(1702)には義央を討ち果たす功を挙げた。その後毛利綱元邸にお預けの身となり,同志共々切腹した。

(宇田敏彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武林唯七」の解説

武林唯七 たけばやし-ただしち

1672-1703 江戸時代前期の武士。
寛文12年生まれ。播磨(はりま)(兵庫県)赤穂(あこう)藩士。四十七士のひとり。先祖は文禄(ぶんろく)の役で捕虜となった明(みん)(中国)の孟二寛ともいわれる。藩主浅野長矩(ながのり)に中小姓としてつかえ,浅野家改易(かいえき)後は大石良雄にしたがって吉良義央(きら-よしなか)を討ち,元禄(げんろく)16年2月4日切腹した。32歳。名は隆重。

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