武田元明(読み)たけだ・もとあき

朝日日本歴史人物事典 「武田元明」の解説

武田元明

没年:天正10.7.19(1582.8.17)
生年天文21(1552)
若狭(福井県)の戦国大名。義統と将軍足利義晴の娘の子。通称孫八郎。永禄10(1567)年,父の死により家督を継ぐ。当時の武田氏はすでに大名としての権勢を失っており,翌年若狭に侵攻してきた朝倉氏によって越前(福井県)に連れ去られ,武田氏の若狭支配は終わった。天正1(1573)年朝倉氏の滅亡後,若狭に帰り神宮寺(小浜市)に住んだが,同9年高浜城(高浜町)の逸見昌経(武田旧臣)が没すると,同じく武田旧臣の粟屋勝久らの運動で昌経の遺領のうち3000石を織田信長から給与された。しかし,翌年の本能寺の変で明智光秀にくみしたため,近江海津(滋賀県マキノ町)で自害させられた。妻竜子は豊臣秀吉側室(松丸殿)となった。<参考文献>『小浜市史/通史編』上

(河村昭一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武田元明」の解説

武田元明 たけだ-もとあき

1552-1582 戦国-織豊時代の武将
天文(てんぶん)21年生まれ。若狭(わかさ)(福井県)の守護武田義統(よしむね)の子。永禄(えいろく)10年家督をつぐが勢威はなく,翌年若狭に侵攻した朝倉氏の庇護(ひご)下にはいる。朝倉氏滅亡後は織田信長にしたがう。天正(てんしょう)10年本能寺の変で明智光秀に味方したため7月19日自殺させられた。31歳。妻竜子は豊臣秀吉の側室松丸殿となる。通称は孫八郎。

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