朝日日本歴史人物事典 「武田元明」の解説
武田元明
生年:天文21(1552)
若狭(福井県)の戦国大名。義統と将軍足利義晴の娘の子。通称孫八郎。永禄10(1567)年,父の死により家督を継ぐ。当時の武田氏はすでに大名としての権勢を失っており,翌年若狭に侵攻してきた朝倉氏によって越前(福井県)に連れ去られ,武田氏の若狭支配は終わった。天正1(1573)年朝倉氏の滅亡後,若狭に帰り神宮寺(小浜市)に住んだが,同9年高浜城(高浜町)の逸見昌経(武田旧臣)が没すると,同じく武田旧臣の粟屋勝久らの運動で昌経の遺領のうち3000石を織田信長から給与された。しかし,翌年の本能寺の変で明智光秀にくみしたため,近江海津(滋賀県マキノ町)で自害させられた。妻竜子は豊臣秀吉の側室(松丸殿)となった。<参考文献>『小浜市史/通史編』上
(河村昭一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報