武田範之(読み)タケダ ハンシ

20世紀日本人名事典 「武田範之」の解説

武田 範之
タケダ ハンシ

明治期の僧侶,大陸浪人 顕聖寺(曹洞宗)住職



生年
文久3年11月23日(1864年)

没年
明治44(1911)年6月23日

出生地
筑後国(福岡県)

旧姓(旧名)

別名
幼名=半次,号=洪疇,保寧山人

経歴
久留米藩士の三男に生まれる。11歳の時に福岡の武田家の養子となる。明治16年新潟県顕聖寺の根松玄道について出家、長岡曹洞宗寺門学校に学ぶ。21年上京。24年頃朝鮮に渡り、27年東学党の乱が起こると玄洋社の的野半介らが日清戦争開戦の端緒を作ろうと組織した天佑俠団に参加。28年朝鮮王妃・閔妃暗殺に関与して投獄された。33年顕聖寺住職。34年黒竜会結成に参画、39年韓国統監府が設置されると同会主幹の内田良平らと渡韓して日本仏教の進出に力を注ぐ傍ら、日韓合邦運動に尽力した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武田範之」の解説

武田範之 たけだ-はんし

1863-1911 明治時代の僧,国家主義者。
文久3年生まれ。新潟県の曹洞(そうとう)宗顕聖(けんしょう)寺の住持。明治24年ごろ朝鮮にわたり,甲午農民戦争時には日清(にっしん)戦争開戦をもくろむ天佑侠に参加。28年閔妃(ミンビ)暗殺事件にかかわり逮捕される。また黒竜会結成に参加,韓国併合運動をおこなった。明治44年6月23日死去。49歳。筑後(ちくご)(福岡県)出身旧姓は沢。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「武田範之」の解説

武田 範之 (たけだ はんし)

生年月日:1864年11月23日
明治時代の僧。越後顕聖寺住職;韓国十三道仏寺総顧問
1911年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の武田範之の言及

【天佑俠】より

…日清戦争の際,朝鮮で活動した玄洋社系の団体。1894年,東学農民軍が蜂起すると,これを日清開戦の導火線にしようとする軍部,玄洋社の意をうけて鈴木天眼,内田良平らが渡海し,すでに釜山居留地でアジア経綸を語らっていた田中侍郎,武田範之らのグループに合流した。彼ら十数人は天佑俠を名のり,農民軍の支援を意図して6月下旬に釜山を出発,全羅南道淳昌で農民軍の幹部と接触した。…

※「武田範之」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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