武蔵大路(読み)むさしおおじ

日本歴史地名大系 「武蔵大路」の解説

武蔵大路
むさしおおじ

吾妻鏡」養和元年(一一八一)九月一六日条に、足利俊綱の首を持参した桐生六郎が武蔵大路から使者を立ててきたが、源頼朝は鎌倉の中に入ることを許さず、直ちに深沢ふかさわを経由して腰越こしごえに向かうよう指示したとあるのを初見として、同書にはしばしば武蔵大路の名がみえる。この路は鎌倉と武蔵との間を結ぶ重要な交通路であった。

その道筋を知るべき手がかりを「吾妻鏡」に求めると、文永三年(一二六六)七月四日条に京都に送還される将軍宗尊親王が幕府の北門から出てあか橋を西に行き、武蔵大路を経て佐介さすけの北条時盛の館に向かったという。仁治二年(一二四一)一〇月二二日条には、群盗が武蔵大路の民居を襲ったので佐々木泰清ら近隣の武士が現場で彼らを生捕った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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