仮粧坂(読み)けわいざか

日本歴史地名大系 「仮粧坂」の解説

仮粧坂
けわいざか

鶴岡八幡宮の西方窟小路いわやこうじ武蔵大路むさしおおじを経て武蔵方面に通じていた鎌倉七口の一つ。かつては気和飛・毛和井・仮・化粧・気生などと当て字された。俗説での坂名の由来には、討取った平家武将の首級を化粧して実検した所とか、この辺りに娼家があったから、あるいは「険しい坂」がなまったもの、木生こはえ坂の意味、などがある。現在の市道六五二号のS字形の急坂部分を中心とする周辺と農道おうぎやつ二号(七曲)を含む境域で、巨福呂こぶくろ坂とともに鎌倉の中央部に直結する重要な出入口であり、小規模ながら中世山城の形態をもつ鎌倉の防御拠点の一つでもあった。国史跡

「吾妻鏡」建長三年(一二五一)一二月三日条に記す「鎌倉中小町屋之事被定置処々」七ヵ所に、大町おおまち小町こまち米町こめまち亀谷辻かめがやつつじ和賀江わかえ大倉辻おおくらつじとともに「気和飛坂」山上がみえ、鎌倉中で小町屋および売買所を構えてもよい所の一つであった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「仮粧坂」の解説

けわいざか【仮粧坂】


神奈川県鎌倉市扇ガ谷にある坂道。坂は通常の切り通しと違い、急な崖をS字状に登っており、歴史的に重要な役割を果たしたことなどから、1969年(昭和44)に国の史跡に指定され、2007年(平成19)に追加指定を受けた。この坂は鎌倉七口(ななくち)の一つで、鎌倉の重要な防御拠点でもあった。坂は現在の鎌倉市扇ガ谷から源氏山公園を結んでおり、おもに武蔵国の国府(現在の府中市・国分寺市)から上野国へ向かう道の出入り口と考えられているが、鎌倉時代初期には武蔵国の東に向かう中道、下道もここを通った可能性があるといわれている。この坂は、新田義貞の鎌倉攻めの際にも新田軍の主力が投入され、源頼朝の暗殺を企てた平景清(たいらのかげきよ)が幽閉(ゆうへい)されたという牢跡「景清窟」の跡も残っており、多くの歴史的な舞台となった。JR横須賀線ほか鎌倉駅から徒歩約20分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の仮粧坂の言及

【境】より

…堺とも書く。あらゆる事物や空間を区切るさまざまな仕切り(境界)。歴史上,境は原始社会から現代に至るまで,小は家と家の境,耕地と耕地の境などから,大は国郡などの行政区分上の境や国境まで普遍的に存在する。 日本の古代では,山や川などの天然・自然の境界物が基本的な境とされていた。《出雲国風土記》に登場する国堺・郡堺の記載50例(重複を含む)をみると,山が15例,水源1例,川が10例であり,さらに埼3例,浜1例,江1例を加えれば,国郡の堺の7割が自然の境界だった。…

※「仮粧坂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android