武藤金吉(読み)ムトウ キンキチ

20世紀日本人名事典 「武藤金吉」の解説

武藤 金吉
ムトウ キンキチ

明治〜昭和期の実業家,政治家 衆院議員(政友会);帝国蚕糸重役



生年
慶応2年5月15日(1866年)

没年
昭和3(1928)年4月22日

出生地
上野国山田郡休泊村龍舞(群馬県)

別名
号=龍山

学歴〔年〕
英吉利法律学校卒

主な受賞名〔年〕
従四位勲二等

経歴
自由党に入り自由民権を唱え、足尾鉱毒事件に活動。明治16年上京、法律学校卒業後は実業新聞、上野新聞を主宰。のち実業界に入り、帝国蚕糸、群馬農工銀行、山保毛織などの重役を務めた。23年以来群馬県から衆院議員当選8回、その間赤城事件に連座、獄中立候補して当選した。立憲政友会に属し、43年ベルギーの万国議員会議に出席、前後3回欧米漫遊。イタリア、中国の蚕糸業視察、蚕糸業発展に尽した。生産調査会委員、大日本蚕糸会評議員、大日本蚕糸同業組合中央特別議員などを務めた。昭和2年田中義一内閣の内務政務次官に就任。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「武藤金吉」の解説

武藤 金吉
ムトウ キンキチ


肩書
衆院議員(政友会),帝国蚕糸重役

別名
号=龍山

生年月日
慶応2年5月15日(1866年)

出生地
上野国山田郡休泊村龍舞(群馬県)

学歴
英吉利法律学校卒

経歴
自由党に入り自由民権を唱え、足尾鉱毒事件に活動。明治16年上京、法律学校卒業後は実業新聞、上野新聞を主宰。のち実業界に入り、帝国蚕糸、群馬農工銀行、山保毛織などの重役を務めた。23年以来群馬県から衆院議員当選8回、その間赤城事件に連座、獄中立候補して当選した。立憲政友会に属し、43年ベルギーの万国議員会議に出席、前後3回欧米漫遊。イタリア、中国の蚕糸業を視察、蚕糸業発展に尽した。生産調査会委員、大日本蚕糸会評議員、大日本蚕糸同業組合中央特別議員などを務めた。昭和2年田中義一内閣の内務政務次官に就任。

受賞
従四位勲二等

没年月日
昭和3年4月22日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武藤金吉」の解説

武藤金吉 むとう-きんきち

1866-1928 明治-昭和時代前期の政治家。
慶応2年5月15日生まれ。英吉利(イギリス)法律学校(現中央大)にまなぶ。「実業新聞」「上野(こうずけ)新聞」を主宰,群馬県農工銀行取締役,山保毛織社長となる。明治37年衆議院議員(当選8回,政友会)。蚕糸業の改善につくした。昭和2年田中義一内閣で内務次官をつとめ,3年4月22日在任中に死去。63歳。上野(群馬県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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