比地村(読み)ついひじむら

日本歴史地名大系 「比地村」の解説

比地村
ついひじむら

[現在地名]松伏町築比地ついひじ

金杉かなすぎ村の北、江戸川右岸に立地する。元亨三年(一三二三)の尼常阿代勝智訴状案、および金沢貞顕代円信陳状案(いずれも金沢文庫文書)に「下総国下河辺庄築地郷」とあり、同郷地頭職をめぐり上野村上むらかみ(現群馬県小野上村)住人の尼常阿が金沢貞顕の家人倉栖掃部助四郎を訴えている。常阿の主張によれば、文保元年(一三一七)一二月七日金沢貞顕の家人倉栖兼雄が作事費用を捻出するために当郷地頭職を翌午歳から六ヵ年を限って二〇〇貫文で常阿に売却した。しかしすぐに兼雄に押領されたので、貞顕の家人に訴えたが取上げてもらえなかった。常阿は兼雄が死去して子息掃部四郎が跡を継いだのを契機として幕府に訴えた。これに対し貞顕側は見たことも聞いたこともない常阿に売却するはずがない、しかも常阿が証拠として提出した文書は年貢の請取状にすぎず、その請取状を交付された妙阿は文保二年三月に当所で継子烏子顕忠(貞顕家人烏子利時の子)を殺害して逃亡し、のち清職定の後家と号して問注所に訴えた時に提出したものであると、常阿の訴えを否定している。


比地村
ふいじむら

[現在地名]国頭村比地ひじ鏡地かがんじ

はま村の北東に位置する。フィジとよぶ。集落は与那覇よなは(五〇三メートル)の南西麓を水源とする比地ひじ川の下流域に立地する(間切集成図など)。同川の中流部には比地ひじ大滝がある。絵図郷村帳に国頭くんじやん間切「ひぢ村」とみえる。琉球国高究帳では比地村と記され、高頭九二石余、うち田八五石余・畠六石余。「琉球国由来記」では比地村と記され、当村の拝所である幸地嶽(神名アカシニヤノ御イベ)小玉こだま(神名アマオレノ御イベ)・キンナ嶽(神名中森ノ御イベ)、および神アシアゲは奥間ノロが祭祀を管轄。


比地村
ひじむら

[現在地名]高瀬町比地

比地中ひじなか村の西にある。貞治六年(一三六七)二月一八日の浪打八幡宮年中行事番帳写(宝寿院文書)に「比地」の西蓮寺・愛光坊・東光坊・石堂寺が載る。天文九年(一五四〇)七月一一日の同宮遷宮奉加帳(香川叢書)には「比地村之分」とし二三名の奉加があげられている。文禄五年(一五九六)八月一五日、三野みの郡「ひじ」の一五〇石が河田長三郎に宛行われた(「生駒一正宛行状」黄薇古簡集)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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