日本歴史地名大系 「比島村」の解説 比島村ひじまむら 高知県:高知市比島村[現在地名]高知市比島町二丁目・高(たかそね)・杉井流(すぎいる)・北川添(きたかわぞえ)・南川添(みなみかわぞえ)・北御座(きたござ)・南御座(みなみござ)・札場(ふだば)・北久保(きたくぼ)・南久保(みなみくぼ)・海老(えび)ノ丸(まる)高知城下北東方にある新田村。西は江(え)ノ口(くち)村、北は久万(くま)川を挟んで薊野(あぞうの)村。古くは村内の比島山は浦戸(うらど)湾に浮ぶ島であったが、この島を中心に順次干拓され、開発された。村の西側を土佐街道が北東方に向かい、久万川を渡って薊野村に至る。土佐郡に属した。「土佐州郡志」は江ノ口村に含めて記載、「在村東、竹樹暢茂、依山為村、里民五十家許、曰比島村」と記す。 比島村ひしまむら 福井県:勝山市比島村[現在地名]勝山市遅羽(おそわ)町比島九頭竜(くずりゆう)川に東面する。東の比島の渡、南の鵜島(うのしま)の渡によって勝山城下に至り、西は発坂(ほつさか)村に至る交通の要地。村名は、慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図に「日島村」と記され、高五一五・二四石。正保郷帳によれば田方二三一石余・畠方二八三石余であった。慶長五年から福井藩領、寛永元年(一六二四)大野藩領、天和二年(一六八二)幕府領で福井藩預地、貞享三年(一六八六)以降幕府直轄地となった。「越前地理便覧」に「新保渡 又比嶋渡ト云」とあるのは、対岸の新保(しんぼ)村とを結ぶ渡で、天明八年(一七八八)の済口証文(吾田家文書)に「当村前渡舟之儀者、御料御私料四ケ谷為一郷内証舟ニ取立置、中古大小二艘ヲ仕立通船仕来」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by