鹿谷村(読み)しのたにむら

日本歴史地名大系 「鹿谷村」の解説

鹿谷村
しのたにむら

[現在地名]日原町富田とみた

やなぎ村の北西高津川支流の大木おおぎ川上流の村。集落は鹿谷・総代そうだあ舟板ふないた能登呂のとろにある。美濃郡に属し、慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原合戦後に幕府領(石見銀山領)となり、同七年の検地高五〇石余(「亀井家領郷村高帳」日原町史)。元和三年(一六一七)津和野藩領となる(「竹村丹後守引渡証文」亀井家記稿本)。寛永一四年(一六三七)の高一八三石余、田一七町一反余・畑六町余(「検地帳」日原町史)。延宝八年(一六八〇)の青原手鑑(日原町立歴史民俗資料館蔵)によると家数二九(本百姓一二・無縁一六・浄土宗寺一)・人数一一九、牛一七・馬一、紙漉舟一三、森二。文化一一年(一八一四)の村鑑(同館蔵)では高二〇五石余、田一八町六反余・畑一六町七反余、家数三六(本百姓二三・小百姓二・下作一一)・人数一七二、牛二五、米蔵一、小社三(大元社・祇園社・荒神社)、庵一、紙漉舟二〇。


鹿谷村
かやむら

[現在地名]信州新町信級のぶしな

日名ひな村の北、当信たぎしな川の谷を本鹿谷村、柳久保やなくぼ川の谷を外鹿谷村という山間の村である。中世さい川沿岸の地に広がっていた当信だしな郷に属したとされている。級・科・坂などは坂の多い地形からの名称である。山地であるが開拓は早く行われたのである。

鎌倉末期、大町の仁科氏の支族松崎氏がこの地を開拓して居住し、鹿谷長者とよばれていたと伝える。


鹿谷村
ろくやむら

[現在地名]亀岡市田野ひえだの町鹿谷

行者ぎようじや山の南麓にあり、東は太田おおた村、南は佐伯さいき村、西は奥条おくじよう村。柿花かきはな・奥条の両村と併せて古くは山内やまうち村と称したという。

天保一二年(一八四一)の「桑下漫録」によれば高四七〇石、戸数六〇、旗本林八十郎知行地。農作は五穀のほか綿・芋を作った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android