日本歴史地名大系 「比曾寺」の解説 比曾寺ひそじ 兵庫県:城崎郡日高町頃垣村比曾寺[現在地名]日高町頃垣頃垣(ころがき)にあり、もと天台末寺。江戸時代には真言宗で(出石封内明細帳など)、現在も高野山真言宗。但馬西国三十三ヵ所第四番札所。久持山と号し、本尊は聖観音。もとの寺地は現比曾寺の北西方、大岡(おおおか)山南西斜面の通称比曾ヶ谷付近とみられ、山門の礎石や庭園跡等が残る。弘安八年(一二八五)の但馬国太田文に「比曾寺 十一町八反」とみえ、「天台末寺」「領家聖憲法印跡」「地頭楽前藤内兵衛入道了一」の注記があり、寺田の内訳は仏神田四町九反三一〇歩、定田六町八反三〇歩である。もと領家の聖憲は進美(しんめい)寺の領家を兼ねる。地頭楽前了一は太多(ただ)庄と善雲(ぜんうん)寺の地頭を兼ねる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の比曾寺の言及 【大淀[町]】より …山林地帯の玄関口にあたることから,工業は製材業などの木材木製品製造が中心である。比曾の世尊寺は聖徳太子開基とされる比曾寺跡にあたる。【松原 宏】。… ※「比曾寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by