毛利秀元(読み)もうり ひでもと

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「毛利秀元」の解説

毛利秀元 もうり-ひでもと

1579-1650 江戸時代前期の大名
天正(てんしょう)7年11月7日生まれ。毛利元清の子。備中(びっちゅう)(岡山県)猿掛城出生毛利輝元(てるもと)の養子となり,朝鮮出兵に名代として出陣した。のち輝元に実子秀就(ひでなり)が生まれたため分家関ケ原の戦い後,宗家より3万6000石を分与されて長門(ながと)(山口県)府中藩主毛利家初代となる。古田織部門の茶人としても著名。慶安3年閏(うるう)10月3日死去。72歳。

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367日誕生日大事典 「毛利秀元」の解説

毛利秀元 (もうりひでもと)

生年月日:1579年11月7日
安土桃山時代;江戸時代前期の大名
1650年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の毛利秀元の言及

【長府藩】より

…長州藩(萩藩)の支藩の一で,長門国豊浦(とようら)郡の大部分と厚狭(あさ)郡西部の一部を領域とする藩。府中藩ともいい,1869年(明治2)の版籍奉還時,豊浦(とよら)藩と改称した。1600年(慶長5),毛利輝元の防長2ヵ国への移封に際して,その従弟秀元(元就四男元清(もときよ)の次男)に長府(現,下関市)3万6200石を分知したのが起りとされる。藩高は4万7000余石と通称されていたが,1783年(天明3)公称5万石の城主格に列した。…

※「毛利秀元」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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