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毛利秀元 もうり ひでもと

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

毛利秀元 もうり-ひでもと

1579-1650 江戸時代前期の大名。
天正(てんしょう)7年11月7日生まれ。毛利元清の子。備中(びっちゅう)(岡山県)猿掛城で出生。毛利輝元(てるもと)の養子となり,朝鮮出兵名代として出陣した。のち輝元に実子秀就(ひでなり)が生まれたため分家。関ケ原の戦い後,宗家より3万6000石を分与されて長門(ながと)(山口県)府中藩主毛利家初代となる。古田織部門の茶人としても著名。慶安3年閏(うるう)10月3日死去。72歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

毛利秀元

没年:慶安3.閏10.3(1650.11.26)
生年:天正7.11.7(1579.11.25)
安土桃山・江戸前期の長府藩祖。毛利元就の4男穂田元清の子。備中国猿掛城(岡山県矢掛町)で生まれる。幼名は宮松丸。右京大夫,伊予守,甲斐守,侍従,参議。毛利輝元の養子となり,豊臣秀吉の朝鮮出兵の際には,輝元名代として2度渡海。慶長4(1599)年毛利秀就に惣領(輝元の後継)の地位を譲り,長門国ほかの国割を受けて別家を立てた。関ケ原の戦後長府(山口県下関市)3万6200石の分知を受け,串崎城を築城。毛利の両川(吉川元春,小早川隆景)の後継者として,吉川広家と共に毛利一門の重しとなった。14年証人(人質)として在江戸。秀就の行儀や付合いへの意見者となり,さらに幕府年寄との折衝役を務めた。元和9(1623)年~寛永8(1631)年本藩財政改革の統轄役として,寛永検地,知行替えなどを主導した。茶の湯に堪能で,将軍徳川家光に献茶をしたこともある。<参考文献>田中誠二「毛利秀元論」(『山口県地方史研究』62号)

(田中誠二)

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367日誕生日大事典の解説

毛利秀元 (もうりひでもと)

生年月日:1579年11月7日
安土桃山時代;江戸時代前期の大名
1650年没

出典|日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について | 情報

世界大百科事典内の毛利秀元の言及

【長府藩】より

…長州藩(萩藩)の支藩の一で,長門国豊浦(とようら)郡の大部分と厚狭(あさ)郡西部の一部を領域とする藩。府中藩ともいい,1869年(明治2)の版籍奉還時,豊浦(とよら)藩と改称した。1600年(慶長5),毛利輝元の防長2ヵ国への移封に際して,その従弟秀元(元就四男元清(もときよ)の次男)に長府(現,下関市)3万6200石を分知したのが起りとされる。藩高は4万7000余石と通称されていたが,1783年(天明3)公称5万石の城主格に列した。…

※「毛利秀元」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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